後藤真希 3rd アルバム「 3rd ステーション」感想文

1.エキゾな DISCO

異色の作品であり、「こんな音色ディスコじゃ無いよ」とかの枝葉末節な批評はちょっと粋じゃねぇですよと言いたい。後藤真希が 13 歳にして颯爽と世に現れたとき、結果的にモーニング娘。大ブレイクの起爆剤となった楽曲「 LOVE マシーン」のイントロで後藤の発した CD デビュー第一声こそが、『ディスコ!』であったことを覚えているだろうか。「ディスコ!」とはすなわち後藤の産声なのである。いわゆる「ロック」なイメージをなぜか与えられることの多い最近の後藤真希なれど、ミュージシャンとしての原点はむしろダンス☆マン印のダンスミュージックであり、それを象徴する単語こそ『ディスコ』を置いて他にない。

そしてディスコといえば近ごろの邦楽 CD のジャケットにはミラーボールがあしらわれているアートワークが目立って多く、邦楽といえどもほとんどハロプロにしか興味のないぼくの知るかぎりでもかの「マツケンサンバⅡ」、オレンジレンジのアルバム「 MUSIQ 」、そしてトラジハイジの「ファンタスティポ」などがすべてこのミラーボール派に挙げられる。奇しくもこれらのことごとくが大ヒットしているわけだが、それでいてこれらのどれもこれもが必ずしも派手派手しくディスコディスコしているわけではないので、それをふまえると後藤の「エキゾな DISCO 」がドッコドッコと四つ打ちである以外にたいしてディスコディスコしていなくても、まぁ別にええじゃないか、とお気楽な立場を取ることができるわけである。

ではそんな今挙げた中でなかなかディスコディスコしている曲といえば「ファンタスティポ」なのであり、ご多分に漏れずぼくも好きな楽曲なのだけれど、この曲のアレンジでメロに絡んでくるストリングスというのが、さて、生演奏なのだ。いわゆる『ナマ弦』。これが「すてきだな」と思わせる一因になっていて、ぼくのゼロに等しい洋楽知識から無理やりひねり出すとたしか 5 年くらい前にジャミロクワイとかいう人たちが「バーチャルインサニティ」とかいう曲でストリングスうねうねうねらせていたのがひどく印象的で、なるほど DISCO というかダンスミュージックというのは、こういう無駄な高級感が盛り上がりにはすごい効果的なんだなと感銘を受けたことがあって、「ファンタスティポ」はその点でどストライクなのであった。

と、翻ってこの「エキゾな DISCO 」はどうか、っていえばストリングス音が盛りだくさんにも関わらず、完全に打ち込み。アレンジャーは平田祥一郎という人で近ごろのハロプロ関係でめっきりいい仕事をしており、特に今さらなんでもかんでも生演奏にする必要性は感じられないし、もっといえばコンサートとかも別にカラオケで構わないとさえ思うんだけど、ただ、この曲に関してだけは、ストリングスは打ち込みよりもナマのほうがさらに奥深い仕上がりになって、すなわち最高、だったんじゃないかなぁ、そこだけは惜しいなぁ、とか音楽評としては中学生レベルに底が浅いかも知れないけど、ここは自分に嘘つけない。

曲順の話をすると、この「エキゾな DISCO 」のようにアルバムの一曲目にアルバム用の新曲が仕込まれるというのは、あまりハロプロの音盤関係では類を見ないことである。後藤の前作の一曲目は「うわさの SEXY GUY 」、デビューアルバムは「愛のバカやろう」で、いずれも既にシングルカットされている作品だった。他の松浦亜弥とかメロン記念日とかだって概ね似たようななもので、たまに「オープニングテーマ」らしきオリジナルから始まる場合もあるけれど、せいぜいモーニング娘。の「セカンドモーニング」が「 NIGHT OF TOKYO CITY 」から、「ファーストタイム」が「 Good Morning 」から始まる、とかそれくらいのもんである。もしかしてそれ以来のことじゃなかろうか。

アルバム一曲目ってリスナーがその後の展開を予見するにあたってかなり重要な鍵を握る楽曲で、そこでいきなりずっこけると信用を失うのは当然であり、聴く気をなくす。そこへいくとシングルというのは無難な選曲なのだけれど、だからこそ、この「エキゾな DISCO 」はつんく♂師匠がもう相当の自信をもってぶつけてきたに違いないのだ。実際に自身のサイトでも「自信作」と断言している。まぁこのあと発売予定の「 W 」のアルバムに関してもやはり「自信作」って断言しちゃっていて、そこはこの人の言葉が相変わらず安っぽいってことなのだけれど。

ぼくはこれ何回も言っているのだが前作「 2 ペイントイットゴールド」は、 10 曲目に収録されていた「ペイント イット ゴールド」が 1 曲目に入るような構成、あるいはアルバム制作にあたっての入念な心構えが出来ておれば、よほど傑作アルバムが誕生していたはずだと今でも思い込んでいる。ただこれが残念ながらコンサートツアーで歌ったカバーを今さら多数収録してしまうという、あんまりな仕上がりになってしまったわけで、そのあたり今回ようやく念願かなってたといっていい。

また楽曲の出来もさることながら、後藤の歌声の挑戦的なセクシーウィスパーボイスがまったくもって新境地であり、作戦勝ちであった。こんなもの聞いた人の間じゃ話題沸騰に決まってる。これを評して「カヒミカリィみたいだ」とうっかり言ってしまうのも仕方ない。ただもう「ウィスパーボイスといえばカヒミカリィ」ということになっているのだが、ここでぼくは思考停止に陥っているのではないかと疑念がよぎる。本当にそんなことでいいのか? 我々はカヒミカリィの何を知っているというのか? 「ちびまる子ちゃん」のオープニングで「ハミングが聴こえる」を歌ってたくらいじゃないのか?どうにも刷り込みが激しい。

ただ、これは他の芸能事象にたとえていうなら『美人といえば中山美穂』『お色気といえば五月みどり』『入浴シーンといえば由美かおる』と同類項であって、実態があろうとなかろうと「そういうものだ」と納得するしかないのだろう。じゃあカヒミカリィの名を用いずに、後藤のささやくような歌唱は何にたとえればいいのかというと、あれだ、辺見マリの「経験」(「♪やめて」から始まる)? 違うな。あるいは現役時代の野村克也ささやき戦術)? いや、この楽曲での後藤真希は方向性として小倉優子だと思っている。

小倉優子は自身の楽曲で特段のべつささやいているわけではないが、後藤はここで自身の歌手としてのキャリアとかアイデンティティとかまったく関係のない別人格で歌っているわけで、このフェミニンなとろける感覚、浮揚感というのが、実に小倉優子である。特にサビ。人を舐めた歌い方がたまらない。「サビが弱い」がつんく♂楽曲を評する常套句になりがちの昨今ではあったが、サビすらいいのである、珍しく。全体的にメロに関しては賛辞しか見つからない。

あと曲の中でそんなつんく♂が声色を機械でいじって「エキゾチーック」とか「あー」とか「うー」とか薄気味の悪いうめき声を終始漏らし続けている。この件に関してはモー娘。の傑作「恋愛レボリューション 21 」であるとか、カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)の「色っぽい女〜SEXY BABY 」を彷彿させるもので、どうやらつんく♂印のダンスミュージックには欠かせない要素らしい。この技法の出典は何なのだろう。気持ち悪いことには間違いないのだが。

ちなみに「 SEXY BABY 」はヲタの間でも安っぽい駄曲としてもっぱらの評判であって、たしかに石川含む 4 名のビジュアルイメージの笑えないダサさとか PV のアニメーションの安さとか否定できないけど、曲自体は悪くなく、むしろ好き。ハロプロ楽曲を外国の歌手が英語でカバーしてついでにリアレンジしてる「カバー!モーニング娘。」という企画アルバムに収録されている変形「 SEXY BABY 」が思いのほか上出来で、ぼくはそこから遡って逆輸入みたいな感じで再評価するに至っている。ただやはりセクシーベイベーというからには石川さんにもあの曲のオリジナルではセクシーボイス一辺倒で歌って欲しかったと思うのであり、やがて話を後藤のこれに戻すと、仮に『エキゾな DISCO (石川 version )』などが世に出るとすればその殺傷能力は尋常ではないわけで、石川ソロボーカルの方向性としてはこんな感じをよだれ流して待ち焦がれている。


あ、あと 2 曲目以降もいいですよ。

後藤真希 3rd アルバム「 3rd ステーション」感想文 おしまい)