KANさんとおわりある人生

KANさんは僕が両親の次くらいに影響された人で、まず西暦から物事を話し始めたり、その話が回りくどくなったりするのは1991年頃からSTVラジオアタックヤング」や、気がつきゃ放送1000回を目前にしていた同じSTVラジオの「KANのロックボンソワ」でトークを浴び続けてきたからにほかなりません。1990年代後半にはファンクラブ「北青山イメージ開発」にも入っていました。結果的にラストとなってしまったバンドライブツアー「25歳」もKT Zepp Yokohamaに見に行ったし、2020年発売のアーティストブック「KAN in the BOOK」も2022年発売の歌詞集「きむらの和歌詞」も購入したし、「ロックボンソワ」は最近も断続的に聴いてはいるしで、熱狂的とは言えないもののそれなりに現役ファンでした。個人的な思い出や思い入れ、いっぱいあります。

なので、先週金曜の午前中に訃報を目にしてからというもの思考停止していましたし、ふつう身内の葬式があればその手続きなどの忙しさにかまけて悲しみも和らぐものですが、芸能人が亡くなったからといって特にミッションを負うわけでもないので、ただただよるべなく途方に暮れる、というやりきれない週末を過ごしていました。このとりとめのない文章を書いているのは、1997年に僕がホームページ「土踏まず」をJustNetで始めたときにKANさんのアルバム全曲レビューを書いてアップしていた名残りという意識に由来するものでもあります。そのホームページは現存していませんが、ネットの海に深く潜伏すればひょっとすると遺跡が残っているのかも。

SNSを漁っていろんな著名人やファンの方たちの追悼に片っ端から目を通すと、ミュージシャンをはじめ、とにかく多くの方々から見たKANさん像が綴られていて芸能生活35年のすごみを感じます。ラジオでも、葬儀のあとに収録したという根本要さんと馬場俊英さんのFM COCOLO「Wabi-Sabi レディオ・ショー」は、KANさんのレギュラー番組だったこともあり必聴でしたし来週からも聞きます。「ロックボンソワ」はKANさんと同じ事務所のハロー!プロジェクトメンバーやOGが今のところ代役を務めており、僕はハロプロも生きる糧なので、KANさんのラジオが聞けないことほど悲しいことはないですが、KANさんの代わりとしてはこれ以上ないみんなに担ってもらってます。

あとはひとカラに行ってKANさんの楽曲を何曲か歌うということをしていました。「50年後も」は「明日の朝もしも僕が死んでいたら君はどうする」なんて、収録アルバム「KREMLINMAN」リリースの1999年当時からとんでもない歌い出しだと思ってましたし、さすがにこんなことになってはカラオケとはいえ途中からせつなすぎて歌えなかったです。1992年のベストアルバムのタイトル曲「めずらしい人生」も歌ってみて、お父様を亡くされたときのことが描写されていたり、楽曲の終盤に「おわりある人生」とあったり、とここにも死を意識した歌詞が登場するなと痛感させられました。「おわりある人生 一番大切な事は 愛する人に愛されてるかどうかということだ」。もともと印象的な一節でしたが、またここに来て、歌詞の意味が違って聞こえてくるとは思わなかったです。