鶴瓶が炙り出した海老蔵

11 日に放送された TBS 系「A-Studio」のゲストは市川海老蔵。すっかり見入りました。小林麻央とのタイムリーな話もあったりして、内容の濃い回でした。「A-Studio」は毎回たいてい濃いんですけど。

海老蔵をよく知る友人や仕事仲間に司会の笑福亭鶴瓶が直接話を聞きに行き、その結果をスタジオで鶴瓶海老蔵に直接伝える「A-Studio」流。鶴瓶の話を聞いた海老蔵がまた新たな話の流れを作っていく。

海老蔵のことは単なるプレイボーイ、もしくは一日中ゲーセンに入り浸るほどの凝り性という程度にしか理解してなかったですし、正直歌舞伎のことはよくわかりません。にしても海老蔵の語り口は軽妙で、かつ歌舞伎について言及する場面では重厚で真摯な雰囲気を纏っています。

「こんな人やったんか!」

と、鶴瓶海老蔵のことを次々に再発見していくのを、テレビ見てるこちら側も追体験するようでした。ってことで以下に鶴瓶海老蔵のやりとりをいくつか。

鮨屋で修行中の若者を見出した海老蔵


海老蔵がまだ 19 歳と若いときのエピソード。

ホテルオークラ内「久兵衛」で鮨を食べる前、「この人に握ってもらおう」と何人もいる職人の中でひとりだけ指名をした。海老蔵が指名したのはベテランの職人ではなく、まだ修行中の若い職人。海老蔵曰く「光ってた」とのこと。

その人の名前は「金坂真次」さん。今や海老蔵とは大親友だという。カラオケボックスで歌も歌わず飲みもせず、熱く語ることがあるらしい。

鶴瓶はスタジオ収録の三日前、そんな金坂さんに直接取材している。

鶴瓶 金坂さんは、九年半くらい修業すんねんけど、「店持てないから」っていうんで辞めてしまうのよ。黙ってね。そのとき海老蔵はこの人がどこ行ったかわからへんかったのよね?

海老蔵 細かくは知らないですね

鶴瓶 で、電話が海老蔵からかかってきて「食う鮨がねぇよ、おまえ!」って。「おまえ勝手に辞めんなよ!」って言って、探しに行ったと

海老蔵 えぇまぁ

鶴瓶 それがすごく嬉しかったねんて。「この人に出会えて凄く良かった」と

海老蔵 僕もですね

鶴瓶 この人はそれに感化されてんねんけど、最初に迷ってた時期があって。海老蔵が言うたと。「鮨屋鮨屋をやればええんや」「鮨屋以外のことする必要無いやないか」言われたって。「握るのは適当に握ってたらいいんだよ」って。これ、難しいでしょ

海老蔵 難しいですね

鶴瓶 あのね、「足柄刺繍」ってもう八十歳くらいの人がしてて、刺繍。俺それ観に行って。なんにも下絵描いてないのよ。ものすごい刺繍よ。そのおじいさんに「これどうしてるんですか?」って聞いたら「適当だよ」。で、最後に「適当がいちばん難しいんだよ」。この言葉って凄いよね

海老蔵 深いですね

鶴瓶 たぶん何で自分が選ばれたか言うたら(金坂さんは)「光ってる」って言うたけど、たぶん何か「他と違うことをしよう」という意識が感じられたんじゃないか、っていうの

海老蔵 そうですね

「適当」という言葉にまつわる鶴瓶流の引用も交えながらの交遊譚。

海老蔵は「光るものがあった」という理由で、まだ修行中だった金坂さんを自分のお気に入りの鮨職人と認めた。なかなか芽が出ず、いったんは鮨の道から遠ざかり、消息を絶った金坂さんだったが、しかし海老蔵の励ましがあってふたたび鮨の道に戻る。

そんな金坂さんは現在、「ミシュランガイド」で星をもらう鮨屋をいくつも経営するほどの大出世を遂げているといいます。


・ちなみに金坂さんからみた海老蔵の欠点

鶴瓶 金坂さんが言うてたけど…みなさん耳をちゃんとほじくって聞いてください。「海老蔵に欠点がある」って言うんですよ。

「何?」って聞いたら

「優しさ」や言うてた

海老蔵 やめてくれよw

鶴瓶 そんなイメージ無いやろ? 俺、「え? 優しさ!?」って(椅子から立ち上がって)。「え、何?」って。この人に聞いて、俺は、海老蔵の雰囲気が全部違って「え? そんな人なの? ただ酔うてるおかしい人じゃないの?」って言うたら、そんな人じゃないとわかった

金坂さんを訪ねて鶴瓶海老蔵に対する認識が大きく変化した様子。

海老蔵と同年代の歌舞伎界の重要人物・田中傳次郎と藤間勘十郎


田中傳次郎は「囃子方」で歌舞伎の音楽全般を手がける。傳次郎と海老蔵とは同い年だが犬猿の仲だった。学生時代にお互い「悪かった」ことも関係しているらしい。

いっぽう藤間勘十郎は舞踊振付師・演出家。勘十郎は海老蔵より年下だが小中高が一緒。小さい頃から「歌舞伎ヲタク」で何でも知っていた、と海老蔵は言う。

'06年「訪欧歌舞伎公演」というロンドンでの公演で座頭を務めた海老蔵が、同年代のこのふたりを裏方に指名する。そこで意気投合し、以来、仕事での仲が続いているという。

鶴瓶 (傳次郎さんが)「ものすごく嬉しかった」っていうのは、イギリスで意気投合して(日本に)帰ってきたと。「松竹座(のスケジュール)がぽかっと空いた」と情報が入ったから海老蔵さんに「一週間空いてるけど何かやらない?」って聞いたら「やる」って言うてくれた、と。そのときに「保名(やすな)」っていう

海老蔵 十一代目・市川團十郎が最後に踊った

鶴瓶 おじいちゃんが踊ったやつが「保名」。この人(海老蔵)のおじいちゃんが鼓を打った「保名」がどうしてもやりたかったと。それをやる公演を入れたんやけど、急遽入れたもんやから、前売りが六割しか売れてなかったんやて

海老蔵 しかもそのときインフルエンザが流行ってて、大阪だったんですけど、劇場とか密集するところに誰もこなかった

鶴瓶 團十郎さんところに「にらみ」という(伝統的な所作)のがあんねんけど、「無性息災」で、にらみをみんな飛ばすことで「病気を飛ばす」という

海老蔵 はいはいありますね。厄を払う

鶴瓶 「じゃあ“インフルエンザのにらみ”をやろうや。飛ばそうや」っていうのを新聞で言うたら、満杯になったって。あれはね、やっぱ遊んでないとあんな言葉でえへんよ

海老蔵 僕も言った手前ドキドキですよ。責任重大じゃないですか。風邪が密集してるところでにらんでまたなんか言われちゃったときは、ね。だから本当に気合入ってましたね

鶴瓶 満員になってごっつ嬉しかったと。で、'09年の「石川五右衛門」もこの人(勘十郎)が感謝してるのは、「自分らみたいな若い演出家を使ってくれることがすごく嬉しい」と

海老蔵 でもね、この人は将来歌舞伎をそういう方向で支える人って決まってるんですね、僕のなかでは。上の人もいらっしゃるんですけど、今からこの方がいろんな事を一緒にしてもらえれば、歌舞伎のためになるかなっていう

鶴瓶 初日入ってもうすごい感動したと

海老蔵 感動した。泣きそうになりました。泣かないんだけど普段。泣きそうになった

鶴瓶 ほんで勘十郎さんも泣きそうやったと

海老蔵 泣きそうだった。でもお互い泣きそうな顔を面と向かったらば、恥ずかしくて涙がこう戻ったみたいな。しかも周りみんないたんですよ。だから泣くわけにいかなくて、男的には。泣きそうになったけど「まだ先がある!」というお互いのアイコンタクトがあって

鶴瓶 「いずれ芝居とかで喧嘩することがあるだろうけど、絶対別れない」って言ってた。(勘十郎)本人は

海老蔵 そうなりますよね

鶴瓶 だんだん(海老蔵のイメージが)変わっていくのわかるやろ。「そんな男か」と。「うわ、そんなんか」と

海老蔵 僕はまわりに恵まれているんですよ本当に

歌舞伎の裏方といえばつい大ベテランを想像してしまうけど、この藤間勘十郎という人はまだ二十代。NHKトップランナー」にも出たことがあるらしい。海老蔵は「将来の歌舞伎界を支える人だから」という理由で若い人を積極的に起用している。

伝統芸能の橋渡し役として


歌舞伎と落語。ジャンルは違えど古典芸能の担い手としてはベテランの域にある鶴瓶が聞き手ということで、海老蔵はとおりいっぺんのインタビューよりも一歩踏み込んだ内容の事を発言していた(気がする)。

鶴瓶 今度あれでしょ「伊達の十役」って(市川)猿之助さんの十八番じゃないですか。凄いのよこれ。こんなん、よう(やるって)言うたな

海老蔵 それもいい加減だからなんじゃないですかね。「お家騒動」なんですけどね、昔のお話でね。その主要の善悪男女十役をひとりで四十数回早変わりしてご覧に入れる趣向で。七代目の團十郎が初演してるということで、ご縁もあると

鶴瓶 俺、猿之助さんの見たけど、これ凄いよ。あの人も頭おかしいよね。最初に出てくるところの口上から大変なのよ

海老蔵 大変、大変大変です

鶴瓶 説明するからわかりやすいのよ。歌舞伎にとってこれ見るのはわかりやすいと思う

海老蔵 本当に、初めて歌舞伎見る方には見て頂きたいなと思いますし、僕もやっぱり命懸けですよね、けっこう。でもありがたいですよね。限界まで人間を追い込めるんでね。そこだからこそ感じられる所、ありません?

鶴瓶 ま、一緒にしたら失礼かもわからんけど、歌舞伎の世界もぼくらの世界も何百年と続いた世界やから、今自分が通り過ぎていくだけじゃないよね。今後にバトンを渡さないかんから

海老蔵 ぼくはね、十歳のときに初めて「連獅子」という踊りを四日間踊らなくちゃいけないということで。

ひいおじいちゃんからのお弟子さんがひとり生きてらっしゃいまして、その人が毎日朝の十時から十二時まで稽古をつけてくださったんですね。「連獅子」という踊りだったんですけど、最後に毛を振らなくちゃいけないんです。

子供にとっては重労働だったんです。腰は動かなくなる。首も動かなくなって、「絶対やだ!」って言ったんです。七十くらいのおじいちゃんに。

その人がね、毛を持ってガッと掴んでくれて

「俺はな、お前に、これを教える為にこの世に生まれてきたんだ」

って、七十くらいのおじいちゃんがカーッと泣いたんです。僕は子供ながらに「あっ……これはいけないことをした。ちゃんとやんなくちゃいけない」と。

彼がいたからこそそういうことが分かりますし、生きざまが未だに忘れられないですね

鶴瓶 そこをいかにどうバトンを渡せるかってことでしょう

海老蔵 だと思います。歌舞伎ということがいろんな方に見てもらいたいですし、いいものが亡くなるということだったらやりたいですし、おこがましいんですけど伝えられるようになりたいとは思うんで、ゆくゆく僕もそういうふうになっていかないといけない、とは思いますね

海老蔵に「連獅子」の稽古をつけた老人の一言がとにかく強烈。

鶴瓶トーク後の一人語り


最後はスタジオのお客さんに向けて、取材した結果やこの日のスタジオトークの内容を一人語りで総括。ちょっとしたこぼれ話も出てくる。束の間の「鶴瓶噺」が堪能できる場でもあります。

凄いやろ。全然ちゃうやろ。

俺も取材してくごとに「え、こんな人やったん?」。

凄いなー、思って。正直なんやろね、人間が。

さきほど出てきた傳次郎さん、それから勘十郎さんとロンドン公演行ったときに、(海老蔵は)本当に腹から喋って、「この人らよりも自分は歌舞伎のことを知らない」と。「だから今日から俺は歌舞伎一年生だ。だから教えてくれ」と二人に頼んだらしいね。

で、「何をやったらいいねん」と。そのスピードたるやすごいもんやと。「あれやろう、これやろう」。

やると、勘十郎さんに「今日の駄目なところ全部書き出してくれ」って。全部本当に書き出す。

次の日、直ってる。

身体能力の高さは凄いなと思う。だから初日と千秋楽はもうぜんぜん違う物になってる、と。

傳次郎さんは(市川)猿之助さんと(坂東)玉三郎さんをすごく尊敬していると。で、猿之助さんがご病気になられた。心にぽっかり穴が開いて、自分はどうしたらいいのだろうと思ったときに、本当に嫌いだった海老蔵に出会って「現れた」と思った。ロンドンのときにすべて自分の思いが変わって「この人についていこう」と思った。

凄いよね。

でもスーパースターだけだったら、それはそれで別に何も起こらないんですよ。それで、裏方の能力がある凄い人がいても、それだけでも別に何も起こらないんですよ。

しかしこの能力のある人がスーパースターを動かすと、凄いものができるんですね。このロンドンでの三人の合体というのは必然なんですね。

傳次郎さん曰く、(海老蔵は)「野獣に心がついたら王子様になった」っていう(笑)

歌舞伎の中に凄い物がこれから起きていくと思います。

今日のゲストは市川海老蔵さんでした。「伊達の十役」楽しみにしております。