正午。
葬儀のスタートが司会進行役の男性によって宣言され、坊主の読経が始まった。
ぼくは仏門に下っているわけでもないのでお経がどんな内容を唱えているものなのかは見当がつかずまた興味も微塵もなく、時が過ぎるのをじっと待つことにする。
しかし。
「南無妙法蓮華経南無阿弥陀仏…ゲホッ! …色即是空空即是色……ゲホッ! ゲホッ!!」
やたらと咳を繰り返す坊主。かなりの悪目立ちだ。そんな咳込み坊主にぼくはイッセー尾形演ずる「アトムおじさん」の姿を重ねた。痰壺でも用意しとけ。
読経の後は弔辞である。まずは「週刊朝日」の編集長から。ナンシーの遺影に正面から立ち向かい、「週刊朝日」の連載の中でもナンシーの「小耳にはさもう」は TOP3 に入る長期連載であったこと、ナンシーの訃報を知った読者から「もう週刊朝日は読まない」 という手紙が編集部に来たことなどを、悲嘆に暮れた様子で、しかし熱を込めて語りかけていた。
ぼくが特に印象深かったのは次のような言葉である。
「ナンシーさん、我々はいったい、これからどうすれば良いのでしょう? ナンシーさんの『後継者』が見当たりません。しかし、ナンシーさんのコラムに影響を受けた読者は日本全国にいるはずです。そういった『ナンシーさんの子どもたち』の中から、我々はナンシーさんの後継者を探し出そうと思っています」
とりあえず辛酸なめ子では荷が重いと思う。
弔辞はもうひとり、「週刊文春」の編集者が語り始めた。
この人はナンシーと同い年だそうで、かつてナンシーの担当編集者をしていたという。ナンシーがカラオケで YMO やフィンガー 5 をよく歌っていたこと、また昔ナンシーの家に原稿を受け取りに行ったところプロレスの話で意気投合し、「藤波辰彌vs長州力」の試合のビデオを深夜に 2 人で観戦したこと、等を話していた。
ナンシーと交流のあった編集者にとっては、希有な才能を失ったことの悲しさも、知人・友人としてのナンシーを失った悲しさも、自分の雑誌が売れなくなるだろうことの悲しさも、いずれも大ダメージに相違ない。「週刊朝日」編集長の言い放った「これからいったいどうすれば良いのでしょうか?」 の悲嘆から窺い知ることのできた動揺は、かなりのものだ。
ちなみに弔辞が語られている最中、会場ではあちこちからグスグスと啜り泣く声が聞こえてきた。実際にナンシーと交流のあった方々も少なくないのだろう。つらい。