ナンシー関の葬式に参列する・3

お寺に靴を預けてカーペット敷きの室内を突き進み、エレベーターを上がるとそこは葬儀会場であった。

おもっていたよりも小じんまりとした印象だ。場内にはパイプ椅子がズラッと並べられているのだが、数えてみると 200 席あるかないかといった程度。告別式の開始 30 分前、ぼくが入場したとき、まだ人影はまばらだった。

そして会場の最奥部に設えられた祭壇。その中央にデンと居座っているモノクロの遺影。ナンシー関だ。満面の笑みをたたえている。悪い冗談のような光景だが、現実であろう。

祭壇の横では関家の遺族の方々が、焼香を済ませた参列客にお辞儀を繰り返している。ぼくも他の客に倣って焼香を済ませ、控え目にではあるが関家の方々へ一礼すると、むこうも一斉にお辞儀を返してくれた。いえいえぼくごときにそんな、わざわざ礼なんて返してくれなくても…と申し訳ない気分になったりしたが、そもそもこんなところまで押し掛けてきたのは自分のほうだった。

パイプ椅子はまだたくさん空いていたので、ぼくは最後列の中央、という控え目でありながらも全体の状況把握がしやすい座席を選び、そこに腰を下ろす。ナンシーの遺影を遠目に、無言で身動きもせず、告別式が始まるのをじっと待つことしばし…


いとうせいこうが入ってきた。


ナンシー関」の名付け親がいとうであった、ということをぼくはナンシーの死後に初めて知った。「週刊朝日」 6 月 28 日号のナンシー追悼特集も参考にすると、ナンシーといとうが初めて出会ったのは 17,8 年前のことで、ナンシーの才にまずいち早く気付いたのがコラムニストのえのきどいちろうであり、その紹介を受けてナンシーの腕に惚れ込み原稿を依頼したのが、当時「ホットドッグプレス」の編集者をしていたいとうなのだ。

その付き合いの深さは余人には伺い知れないものだろう。悲しみに暮れているのも道理で、いとうはこの日、終始沈鬱な面持ちであった。トレードマークの眼鏡も地味な黒縁タイプ。

そのいとうは、ぼくの左斜め前方に座った。かなり近い。


【図 1 】
○○い○○   (←いはいとう)
○○○○○
○○○○ピ   (←ピはぼく)


さすがに告別式も 15 分前になってくると、続々と参列客が入場してくる。

あっ、山田五郎だ。

…いちいち反応するのもミーハーなのだが、それにしても目立つ。山田の服装は一般的なネクタイ姿ではなくいつもテレビで見るような、マオカラー、ってんでも無いだろうし、なんだろう、ともかく独特なやつで、色は一応黒、あの「とさかヘアー」にしろ一般人とはひと味違う服装にしろ、マナーって何かね? と思わずにはいられない。中尾彬なんかも冠婚葬祭の席にはあの「ねじねじ」スタイルで出向くそうだが、単純に「失礼」なんじゃないかと思うのは度量が狭いだろうか。


山田五郎は右斜め前に座った。


【図 2 】
○○い○○ ○○○○○
○○○○○ ○○○○山   (←山は山田五郎
○○○○ピ ○○○○○


その後、「タモリ倶楽部」でもおなじみの雑誌編集者、ヒゲとメガネの渡辺祐(たすく)も姿を現す。ぼくにはいわゆるそういった「テレビ文化人」しか顔と名前の一致がさせられないわけだが、おそらく他にも名前が売れている多くの編集者、ライター等は多数出席していたものと思われる。もし参列者がネームプレートでもつけていたらその「名前っぷり」にいちいちチビっていたことだろう。


あっ、リリー・フランキーが入ってきた。少しチビる。


ナンシーとリリーは月刊女性誌CREA 」で今まさに対談の連載中なのだった。ついこの間まで元気な実物と対面していただけにリリーの衝撃も大きいだろう。現在発売されている号の対談のテーマは「占い」。読んだみたが、別に芸能関係のことを全面的に喋っているわけではなく今ひとつ興味も薄いが、単行本にまとまったらたぶん買う。これも供養だ。

リリーはぼくと同じ列に座った。


【図 3 】
○○い○○ ○○○○○
○○○○○ ○○○○山
リ○○○ピ ○○○○○ (←リはリリー)


図でも示したように、会場の最後方で、ぼくは 3 人の有名文化人に期せずして包囲されたのだった。全員、半径 3 m 以内。手を伸ばせば届く距離。

たとえば夢の中にいきなり何の脈絡もなく芸能人が出現することは誰にでもあると思う。友達として登場したりヘタすると恋人だったりもする。「それまで嫌いだったのに、夢の中で優しくされてから急に浜崎あゆみが好きになった」─そんな都合のいい体験談も耳にする。混沌とした夢空間の中では、普段の友達もメディアの中の芸能人も全員ぐちょぐちょだ。

いとうせいこう山田五郎リリー・フランキーに包囲されたぼくの意識も既にぐちょぐちょであった。しかもそこは「ナンシー関の葬式」という、あまりにも現実味に欠けた場所なのである。一言でいえば「夢のような」シチュエーション。ただし悪夢である。