ナンシー関の葬式に参列する・2

いつまでも外で有名人から送られてきた花々に圧倒されていても仕方がないので、いよいよ葬儀が行われる建物の内部へ闖入することにする。

玄関あけたら二歩で階段。その階段をのぼった先には葬式の場面に相応しい「受付」の場が厳然と立ちはだかっており、そこには関家と日頃から交流があるだろう受付係の方々が 6,7 人、横一列にズラリと並んで参列客の訪れるのを待っていた。

単なる一ド素人であるぼくがあの場に飛び込んでいってもはたして許されるものだろうか…

何の後ろ盾もない自らの立場を思い出してふたたび緊張感が高まるが、ここまで来てしまった以上、もう後には引き返せない。


「このたびはご愁傷様で…」


受付係の方々の前で、そんなお決まりのセリフをいっぱしに口にしながら軽くお辞儀などしてみる。しかしまるでカッコがついてないことは自分でもよく分かった。このような他人の死に際して用いるような言葉は「言い慣れる」というのも気分のいいものではないが、かといって「明らかに場慣れしていない」というのも非常に恥ずかしいものである。

ともかく受付の皆さんがこちらの礼に黙礼を返してくれたのを受けて、次のステップとして鞄の中から香典袋在中の「ふくさ」など取り出し机の上に置いてみる。その動作もまたぎこちない。冠婚葬祭ハンドブックで予習してきたとはいえ、「合ってんの? この流れでほんとに合ってんの?」と不安に駆られながらの作業である。

結果的には一応は最低限の義務は果たしたものと信じ込みたいが、実はすごく大切な手筈をすっぽかしているのかも知れぬ。今のところはそれに気付く術もない。

で、香典返し、というのだろうか、香典を渡したお返しとして関家から小さな包みを頂いた。その中身は、自分の家に帰ってみてから開けてみたところ、お茶っ葉であった。

「ナンシーの消しゴム版画がプリントされたTシャツ」

みたいなものの存在もちょっとだけ期待したりしたがこれは要らぬ考えであった。お茶は今後ナンシーのことを考えながらありがたく飲ませていただくことにする。


ふと見れば、受付の机の端っこのほうに『愛読者の皆さまのための記帳台』みたいな案内が設けられていた。あぁこれだ。親類縁者や仕事仲間などのいわば公式的な参列客がどこにどう記帳していたのかは知らないが、とにかく『愛読者』の三文字がちゃんと呈示されていることに、ぼくは自らの身分を保証されたようで安心した。「ここにいてもいいんだ」。

住所・氏名の記入欄があった帳簿には、青森以外の日本全国から訪れた読者の名前が並んでおり、友よ、と心強くなる。そして緊張に震える手で記帳完了。

さて記帳も済ませたし、とうとう会場入りのときが来た、とあらためて気を引き締める。


…しかし、いざ先へ歩まんと足を踏み出したところで、いきなりぼくの眼前に立ちはだかり、なんだか行く手を阻もうとするひとりの男性がいる。「すわ逮捕か? このまま強制連行?」 緊張と不安から最悪の事態が脳裡をよぎり瞬時に絶望的な気分になるが、その男性は報道のカメラマンだった。

「すみませ〜ん、もう一度戻ってください」

なにかというと、『愛読者が記帳をしている光景』を撮影したいらしい。いったんは記帳を終わらせているぼくに今度は「記帳のフリ」をさせて、それと撮る、と言うのだ。


「こういう安っぽいヤラセじみたことはナンシーの精神に反するところもあるのでは…」


そう感じていっそ断ってしまおうかとも少しは考えたのだが、 2 秒後には「あっ、こんな感じッスか?」とけっこう乗り気で記帳のフリを演じていた。付け焼き刃の哲学なんて現実の前には脆くも崩れ去るものだ。ま、受付の関家の方にも「お願いします」みたいに笑顔で頼まれたので、とても断れる雰囲気ではなかったんだけれども。

というわけで、どこかの活字媒体でナンシーの葬式の様子がレポートされ、また「記帳する読者」の写真が掲載されたりしていた場合、その被写体がぼくである可能性はめっぽう高いので、そこはひとつよしなに。