ナンシー関の葬式に参列する・5

ひどく沈鬱な雰囲気のまま弔電紹介へ。

弔電は「広告批評」等、出版関係からのものが代表として読み上げられていた。とてもすべては紹介しきれない、届いた弔電の数は累計で 100 通を超える、と司会者は述べた。


やがて祭壇に向かって行列が自然と生成される。参列者の焼香である。

あらためて、それにしてもどうして死んだんだろナンシー、と首を傾げながらぼくは焼香を不本意な気持ちで済ませた。そして自分の座席に戻ろうとすれば、まだ焼香の列に並んでいるリリー・フランキーと、パイプ椅子に囲まれた狭い通路の中ですれ違う。

ぼくとリリーの背中はじかに擦れ合った。

ナンシーの実物とはついぞ一度も相まみえぬまま、そう思い入れもない生リリーとは期せずして超接近。明らかに順序が違う。


焼香のあとは喪主からの挨拶。喪主であるナンシーの父親が「お忙しい中お集まり頂きまして…」「無事に終えることができました…」など、型どおりの二言三言を述べる。ちなみにナンシーの父親はご高齢のためか車椅子を使用。

最新号の「週刊現代」の記事で、ナンシーの父親がインタビューに答えている。ナンシーがいつも正月には実家に帰ってきたこと(これはナンシー自身もよく書いていたことだが)や、東京ドームに野球観戦に連れていってくれたことなど、その親孝行ぶりが窺える。


近ごろの葬式では「葬儀と告別式」を合わせて催すのが一般的なようだが、ぼくにはどこまでが葬儀でどこまでが告別式なのか不分明なまま、とりあえず一通りの儀式は司会者の締めの挨拶をもって 1 時間ほどで終了した。あとは身内による「取り越し法要」が引き続き行われるため一般の参列者の方々はいったん建物の外に出てください、という。

会場から一歩出たその廊下には、ナンシーの父親が待ち受けていた。車椅子の低い目線から、参列者ひとりひとりに丁寧に頭を下げていた。

ただ、ぼくがお辞儀をしつつその目前を通り過ぎようとした刹那。

気丈に挨拶を続けてきたはずのナンシーの父親は、突然、感極まって泣き出してしまうのだった。嗚咽し、涙を拭うナンシーの父親。「あぁぁ……」。心底いたたまれない気持ちにさせられ絶句する。東京に出て成功を収めた孝行娘に先に逝かれてしまった父の無念、いかばかりか。最期の最期にナンシーも相当な親不孝をしたものだ。


この葬式が営まれたのは、「父の日」だった。


さて、久しぶりに屋外に出て太陽の下、お寺の駐車場。

ぼくが個体識別可能なタレント文化人、いとうせいこう山田五郎リリー・フランキーなどはお互いやはり顔見知りで、タバコをふかしながら屯していた。その表情は明るくない。そのうち散り散りになって山田五郎がぼくの眼前を何度も横切ったりする。相変わらずシュールな光景が繰り広げられている。

十数分後、「取り越し法要」を済ませたらしい関家の方々が再び姿を見せ、参列者に向かって最後の挨拶を始める。お話をするのは妹さんだ。ときおり涙ぐみながら謝辞を述べている。読者より編集者より、いちばんの悲しみに暮れているのは家族に他ならないだろう。

そして普通の葬式であればこれから出棺、という運びになるのだろうが、妹さんの話によれば、既にナンシー、この時点で「荼毘(だび)に付されました」ということになっているらしかった。

つまりナンシー、もはや、骨。


終わった。



一連の催しは妹さんの挨拶をもって正式に解散。

儀式は儀式としてひとつの区切りではあったが、我々がこれからも永久に「ナンシー抜き」の世界で生きていかねばならないことに変わりはない。ナンシーの観ていない、ナンシーの書かないテレビを観ていく他ないのである。大丈夫なんでしょうか。


(おわり)