祖母の死に化粧


「見てごらん。綺麗だから」


辻ちゃんばりの黒いリボンを後頭部につけるなど未だに感性が若いままの叔母さんにすすめられて、そこだけ観音びらきが終始ひらきっぱなしになっていた棺の窓から、もうすっかり目をとじたままの祖母の顔を、通夜が終わってようやく初めてまじまじと見つめてみた。

ゾッとするほど綺麗な顔をしていた。

生前、化粧っ気があったかどうかすら定かではなく、とにかくまじまじと顔を見つめるなんて案外めったになかったことなので、「こんな顔だったかな?」と自分の記憶をうたがった。


一月の誕生日を迎えてすぐに祖母は逝った。

92歳だった。眠るようにして息をひきとったそうだ。

年齢も年齢だったから、絶望感だとか、無念だとか、そんなものをまとった死ではなかった。人の生き死にに価値があるも価値がないも誰にも言えたものではないけど、人よりすこし長く生きたぶん、人と過ごした時間も長かった、ということにはなると思う。

祖母の姿は家族の記憶に根っこから息づいている。


ぼくが最後に祖母に会ったのは昨年のこと。

そのころには病院でほとんど寝たきりになっていて、ことばは通じるけど、認知症が進んでいて、どこか雲をつかむようなおぼろげな会話だった。

祖母は「戦争で満州に行った」みたいな話を聞かせてくれた。何百回も同じような話を聞いたというぼくの母親は、そんな祖母のエピソードに注釈をつけ加えながら、むしろ自分が主導権をとるようにして、いつまでもまとまることのない話を、ますますあやふやなものにしていた。

その夜、いちど病院を出て、近所のお店に回転寿司を食べに行った。そして、もういちど病室に戻ったときは、部屋の中が真っ暗になっていた。わずかのあいだで、祖母の具合が急に悪くなっていた。

結局そのまま、祖母の顔をふたたび見ることもなく、回転寿司を食べに出るときの「じゃ、また来るからねー」みたいなライトなあいさつが、ぼくが祖母と交わした最後の言葉になった。あっけないものだ。


「おばあちゃんの顔、見た?」


通夜のあとの酒宴の席で母親がそう言うので、「叔母さんにすすめられてさっき見たけれど」とつぶやきながら、もう一度、あらためて祖母の顔を見てみることにした。

死に化粧をしているとはいえ、白い髪はボサボサ。ただしそこさえ気にしなければ、やはり綺麗な顔をしている。凛々しい。母親も「こんな鼻筋が通ってたっけ?」などと同じことを思っているようだった。


こんなに綺麗な顔をしているのに、明日には焼かれてしまって、この世からなくなってしまう。


ぼくにとっては初めての葬式ではないし、もちろん理屈ではそうしなきゃいけないのだとわかっているつもりだけど、いざそんな絶対的な瞬間が訪れるとなると、亡くなったという事実を受容する以上の不条理な気持ちがこみあげて仕方がなかった。

なかなか寝つけない夜のあいだ、このまま時間がとまればいいのに、とすこし真剣に思った。


ぼくの母親は祖母にとってたった一人の娘だった。

息をひきとる瞬間だけは、間がわるくて看取ることができなかったというけど、それでも何度も病院に寝泊まりして看病してきたのは、母親だ。おもうところは誰よりもたくさんあるはず。

葬式のあいだは意外と元気そうな様子だったものの、「思い出したら泣く」とは言っていた。

これまで話題の中心が「おばあちゃん」だった母にとって、祖母のことを口にする回数はこのさき減るに違いない。介護の肩の荷が下りたのは事実なので、楽になったのは楽になった。

でも「どうにか楽に長生きさせよう」という意気込みはあったようなので、それはそれでまたせつない。


亡くなった事実がひたすら悲しい、という別れもあれば、そうじゃない別れもある。誰が悲しいとか悲しくないとか、人それぞれ違うわけで、そうたやすくは測れないのが人の死でもある。

ぼくは葬式の期間中は泣かなかったけど、すべてのイベントが終了して、飛行機で雪の東京に降りたあと、モノレールに乗ってから、急に泣けてきた。

区間快速で浜松町に向かう途中、まだピンピンしてた頃の祖母の話す声をなんとなく頭の中に再生させていたら、その声が棺桶の中に入っていた無言の顔と重なって、いきなり涙がこぼれてとまらなくなってしまった。

そして泣いたそのときには、もう何も話さないその祖母の顔すら、記憶の中にしか存在しないものになっていた。


31年間を孫として過ごした自分にとっても、母親がそう感じているのと同じように「思い出したら泣く」という別れだった。悲しみも憎しみもまったく伴うことなく、ただ記憶の中に、さまざまにおぼろげな像を結んで、とにかく祖母は「いてくれる」。

「実は綺麗な顔をしていた」というおまけまで最後に遺してくれた。ありがたいことだ。

そう考えてみると、案外しあわせな別れ方だったのかも知れない。今はそう思うより他にすべがない。


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超余談ですが「祖母の死」「田舎で親戚がたくさん」という体験が、昨年見たアニメ映画「サマーウォーズ」のようでした。DVDやブルーレイがもうすぐ出ます。冬なのにサマーウォーズ。次の更新からは、まだくだらないことを言い出します。

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