鳥居みゆきドッキリと家族の話

「ブログの更新」以上に人生でたいせつなものを挙げるとするならば、「一生遊んで暮らせるだけのお金」を除外して考えると、たったひとつしかありません。「家族」です。「一生遊んで暮らせるだけのお金」と「家族」さえなんとかなれば「ブログの更新」なんてほっぽらかしやで。

たとえばなにかバターン! とただごとならぬ物音が階下からしてなんぞと様子を見に行ったところ母親が泡吹いて倒れていてこりゃ一大事だと思いながらも自分の胸に手を当てて「いや、母さん、そんなことより今はね、はてなを更新しなきゃならんのです! 偉い人にはそれがわからんのです! スターを、はてなスターを稼がなきゃ…! しかしグリーンスターレッドスターなどと欲はかきません。ノーマルスターでも構わない。いや、しかし、あわよくばブルースター!!」という思考回路になるようでは単なるひょっとこゲベロッチョ野郎であります。それほど家族は大事だよってことです。


これは芸能人も同じようなものだと思うんです。

いったい誰がだまそうと手ぐすねひいているのかわかったもんじゃない。奈落の底に陥れようとしてるかわからない。周囲のオトナたちはみんな自分のことを人間とはみなさずゼニのタネくらいにしか考えていない。東京はこわいところ。ナイナイ岡村が上京したてのころから「全員が敵や!」と殻に閉じこもりまくりだったというのはおなじみの逸話です。また成人くらいのそれなりに分別のついた年齢ならまだしも、ぜんぜん未成年のお子ちゃまのうちにアイドルやらなんやらオーディション受かっちゃったりスカウトされちゃったりしてデビューのために単身上京なんて身の上に置かれた人たちなんて、もう誰を信じていいかわからないじゃないですか。むしろ人間としてまっさらすぎて生まれたての雛鳥のようにまわりを信じすぎてしまったあげく、手痛い目に遭ってしまい、結果、誰も信じられなくなってしまう。芸歴だけムダに重ねて結果的には死んだ目をした子役上がりのずんどこタレントが一丁あがりということになりかねないのです。

そこで芸能人に何がたいせつなのかといえば一生遊んで暮らせるだけのお金を除外すれば「家族」だ、と。これはきれいごとなしに真顔で言えるのです。

そりゃ事務所の人間も親身になって世話してくれるだろうし、同期のアイドルとかも親友になってくれる。でも頼れるところはやっぱり家族。むろん乱暴な論を振りかざす気はなく、例外はたくさんあるわけで家族のかたちは百者百様、ハナっから家族崩壊なんて生い立ちの方々も大勢いらっしゃいましょうし、親が離婚、死別、縁切り、勘当、蒸発、いてもド貧乏、ホームレスなんてろ、そんなふうにいろいろと家族に恵まれないケースもあるはずです。みなしごアイドル豊川誕なんて例もあるわけで抱えている事情はそれぞれ。

それでも大ざっぱなことを申し上げれば、それぞれに家があり、家に帰り、家でメシを食って、家で寝る。そこに安心があるからです。じゃないと、メシに毒を盛られたり寝てる間に手持ちの金品を盗られるやも知れず、心を許して家には帰れません。


14 日放送のテレ朝系「ロンドンハーツ」の鳥居みゆきドッキリ第三弾は相変わらずおもしろかったです。デーブ・スペクターと鳥居みゆきとのやり合いに関しては「デーブ・スペクターはリアクション取りにくいギャグ連発される側の身をたまには思い知れ」と溜飲を下げる思いでしたが、それはともかく、最後のドッキリのくだりでは鳥居みゆきの「お姉さん」が登場したりしていました。

あくまで番組のいいぶんを額面どおり信用するならば「実姉」のようです。幼少のころのツーショット写真などもたくさん映し出されていました。今も昔もたしかに似ているしそこを疑っても仕方ないので信用することにします。声が古都ひかるに超そっくりと言ったところで誰も賛同してくれませんがどうでもいいことです。

鳥居みゆきはお姉さんをとても慕っているようで洋服の買い物とかにも従順についていきます。そういうときの鳥居みゆきは、かぎりなく「素」です。展示してある洋服について「カワイー」とかそのへんの女子のような何のヒネリのない感想も平気で言います。鳥居みゆきのなにが素でなにが素でないとかに関しては興味があったりなかったりで、そりゃどんな芸能人の素にも十人並みに興味はありますし、逆に素をできるだけ見せようとせずにキャラに徹しまくろうという鳥居みゆきの芸人魂には他と一線を画するところがあるのです。

話は横道に逸れてすぐに戻りますが 16 日放送の TBS 系「イロモネア SP 」の「ピンモネア」で鳥居みゆきが 100 万円を獲得していたのはみごとでした。特に 5 人笑わせたファイナルステージは圧巻で、芸人としての手腕をこれでもかと発揮した鮮やかな獲りっぷり。「謝罪会見」というシチュエーションで、登場するや否や「 CUBE 」の天丼、「サグラダファミリアを勝手に完成させてしまいすみませんでした!」などと謝罪会見というテーマと重ねて最大限にうまいこという、窓のブラインドで目線を隠して(石原裕次郎のものまねでゆうたろうがやるのとは隠すところが真逆)証言 VTR の声色変えたやつみたいなあるあるモノマネ、それが今ひとつウケなかったことについての自己憐憫のような一瞬の照れ笑い(それすらも計算かという)、机のうえのマイクをなぎたおす力技、落下したマイクを拾い上げて「記者」の禿頭を「ダウジング」するというエキストラいじりのモノボケ、などなど、一連の笑わせ方をすべて違う手段で流れるようにくり出しており、納得の 100 万円なのでした。

閑話休題。そんな鳥居みゆきがロンハーのドッキリのくだりをすべて終えた段階でお姉ちゃんがドッキリに登場したことを怒るわけですね。怒るっていうか悲しむっていうかダダこねるというか。

昔からテレビの芸能人の肉親出しって特にめずらしいことでもなんでもなく、むしろ常套手段で、今や中居正広の父親が「情熱大陸」やら「めちゃイケ」やらで世の中の目に触れられまくってるくらいふっつーのことではあります。しかし「初顔出し」というのはまた別物。なんだかちょっとバージン失っちゃったくらいのやっちゃった感さえあります。鳥居みゆきが「本心」でどう思ってるかなんて本人にしかわかりませんし、もしかすると本人にさえわからないかも知れませんが、たぶんちょっと実の姉の登場というのは本気でイヤだったんじゃないかなぁ。


ドッキリのネタばらしをされた鳥居みゆきの第一声がこれでした。

「わー、身内にまで!」

自分自身がドッキリに引っかけられて落とし穴にハメられるならまだしも、身内にまで手をつけられた! という驚きと慨嘆であります。


テレビ出演してしまった姉に対しても文句を言います。

「気まずい」
「よくもまぁ出れたもんだ」
「なんでさ、断らない?」

本気で出て欲しくなかった口調が、特に「なんでさ」に出てます。


この回に出演していた misono にも文句は飛び火。

「ここの姉妹とはワケが違う」

倖田來未& misono 姉妹です。ここはここで共演には気を遣ってると思うんですが…。


最後に咆哮。

「ひっそりと暮らしてきたのに!」

姉が顔バレしたことによって、これまで実家方面だけはひっそりと一般人の生活をしてきたのに、まるでプライベートを侵犯されてしまう、というような、得体の知れない悲しい将来が予感されてしまったようです。


鳥居みゆきといえば、なにしろ自分の「夫」さえ公衆の面前には出していません。ここからも仕事とプライベートとは切り離している様子がうかがえます。まぁ“鳥居みゆきの結婚そのものが狂言だった”などといわれれば、もはやどうしょうもないですが。

ともかく夫も出していない切り離し方にも関わらず、さらに幼少のころから仲良しだった姉が“自分にナイショで(そうじゃないとドッキリとして成立しないのは頭ではわかっていたとしても)テレビに出てあまつさえ自分をだましてしまった”というのは、けっこう鳥居みゆきのタレント人生の根幹に関わる出来事だったといっても過言ではない気がします。絶対に踏み込まれたくない聖域が芸人にもある、みたいな。

最終的には「あれはあれでオイシかった」というありきたりな結論に落ち着きそうな気もするんですけれどね。


ちなみに当サイトもここ数日ほったらかしにしてました。遠方に暮らしている入院中の祖母の体調がとてもアレだというので、とりあえず様子を見に出かけていたのです。90 歳なので年齢的には森光子の一歳年上くらい。なんとか辛うじて話すことはできましたが、ベッドの上でいろんな管みたいなのつながれてて、往時の面影は完全にありませんでした。年齢も年齢ですし、いわゆる「順番」ってやつで誰にでも訪れることなわけですが、そろそろ、のようです。虚しいことです。そしてどんどんどんどん肉親が減っていきます。書き出しの言いぐさをふたたび持ち出すならば「あわよくばブルースター!!」とかたとえ冗談でも言ってるような場合じゃないのです。

ただ、時間が経てばなにもかもが宇宙のもくずですが、そんな虚無的な思考を忘れさせてくれるのもまた時間です。FUJIWARA の原西は最近、母上様を亡くされたというのに、相も変わらずおポンチなネタで日々笑かしてくれています。ぼくはぼくで祖母の様子をおもんぱかるにあたっては時間も気持ちもお金もゴリゴリ削り取られていきますが、サイトの更新作業が、案外の効用として、そこを健全におぎなってくれたりもするようです。家族が当たり前に大事。でもブログもお金と家族の次くらいに重要です。