「釈明」という言葉はサディスティック


これは「釈明」ではない


11 日に放送された TBS 系「最強いいわけ列伝」で、おぎやはぎの小木が森山良子の娘との入籍から半年後、“セクシー女優"との密会を雑誌に撮られ、そのことについてラジオで必死に「釈明していた」と紹介されてました。そのときに小木は「ハメられた」と「言い訳していた」といいます。

たまたま番組でこんな具体例が出てきたのでよいしょと便乗して言いたいこと言おうというのが今回の更新なんですけど、「釈明」という言葉の使い方が、つねづね「違うんじゃない?」と気になっていました。


たとえばタレントや政治家などの有名人が、なにか“不祥事めいたこと"の渦中にいて、その内容について当事者が述べるとき、もっぱら「釈明」という言葉が用いられます。

ところが、マスコミが「釈明」という言葉を使った瞬間、ニュアンス的にものすごい「いじわる」感が滲み出てくるようなのです。「えっとコイツ言い訳してますから」という蔑んだような上から目線がうすら透けてみえることが多いです。

いっそ「言い訳会見」というレッテルを貼りたいんだと思うのです。ごちゃごちゃ言ってるけどそんなものはぜんぶ言い訳だと。でもそこまで態度を露骨にはできないから、代わりの言葉として選ばれたのが「釈明」。「釈明=言い訳」のニュアンスがつきまとっている印象があります。


でも、「釈明」って、もともとそんな意味じゃないと思うんです。


MSN 辞書より

しゃくめい【釈明】
(名)スル

誤解や非難などを受けた時、自分の立場や事情などを理解してもらうために説明すること。弁明。
「―を求める」「容疑に対し―する」

また手元の「広辞苑」第 5 版による「しゃく-めい」。

【釈明】1.ときあかすこと。2.誤解や非難などに対して事情を説明して了解を求めること。「〜の場を与える」

釈明は『誤解や非難などに対して』事情を説明して了解を求めることです。「誤解」や「非難」に対するわけですから、どちらかといえば釈明をするほうは、むしろ自らの身の潔白を証明する側に立っています。へたすりゃ場合によっては被害者かも知れない。


いっぽう「いい-わけ」も参考までに。

【言い分け・言訳】 1.物事の筋道を説明すること。2.転じて、過ちを謝するため、事情・理由を説明すること。申しわけ。弁解。「〜が立たない」「〜するつもりはない」。

こちらには「過ちを謝するため」っていう前提がある。言い訳するのは当然「過ちを犯した側」です。


となると「誰々が釈明会見を開きました」「国民に釈明しろ!」みたいな態度って、「アナタ、いったいどういうことなんですか!?(まぁウソだろうけど)」という挑発的な前提のもとに立っていて、また情報の受け手もそのテンションを求めるのでしょうけど、ちょっと見当違いな気がしてきます。

少なくとも辞書をひもとくかぎりでは、「釈明」という言葉に「謝罪」「お詫び」などの意味はいっさい読み取れないのです。

言葉の意味なんてぶりぶり移り変わっていくもので、ぼくも辞書的な定義にほとんど意味なんかないと思っています。「正しい日本語」「美しい日本語」とかバカかって感じでくだらないです。

ただ、この本文をまとめると、「釈明」という言葉が現状で「謝罪」のような意味で世に通じているということならば、この「釈明」がリリースされた瞬間から情報の送り手や受け手から「ちょっとでもスキを見せれば叩く気満々」という意気込みが伝わってくるので、あんまりサディスティックです。



ところで、おぎやはぎの小木が「釈明」を求められる結果となったのは“セクシー女優”と密会したからなのですが、その“セクシー女優”は宝月ひかるという人で、これ書いてるぼくはその小木の騒ぎが起こるより先に、サイン会でいっしょに写真を撮ってもらったことがあります。2005 年のことです。


イェーイ!(これに関してはもちろん釈明しません)