俺のフィールド

「紅白全曲感想文」という誰も読まないようなひどい長文更新以来、からっきし放置している表サイトのほうでこのことは書こう書こうと思っていたのだけど、いざテキストエディタに相対してみるとなぜだか途端に気負ってしまい、ならばというわけで読者数が比較的少ないこのはてなダイアリーのほうでお気楽すちゃらかホ〜イな感じで書き散らしたいことには、ぼくは半年に一度くらいの周期でほとんど発作のようにインターネッツでアッピールしているのだが、ミュージシャンの『 KAN 』という人のことがものごっつい大好きなわけですよ

・・・みたいな書き出しをしてしまうとしかし、たいていの読者さんから「はいはい一発屋一発屋」「過去の遺物イラネ」などといった舐めくさった態度を取られた挙げ句さよならねバイバイとそっぽ向かれるのではないか、という懸念も正直否めないのであって、そこがこのネタの最大の悩みどころなんだよなぁ。ぼくも他のハロヲタ日記で同じような興味薄かつアイタタな主義主張を繰り広げられたらきっとげんなりするし場合によっては見損なう可能性もある。

ただね、おそらくハロプロにちょっとでもご興味がお有りの方々には既知の事柄のように、後藤真希の 2005 年にリリースした唯一のシングルであるところの「スッピンと涙。」の作曲者こそが誰あろう KAN その人である、という一件において、ハロヲタ内での KAN に対する意識が多少なりとも変わったというのもまた事実ではないかと思うわけです。

所詮同じアップフロントエージェンシーという事務所の所属タレントつながり、というおなじみ身内攻勢とはいえ、この「スッピンと涙。」という曲については、「週刊文春」の近田春夫の連載コラム「考えるヒット」でもまるまる一ページ割かれて「プロが聴いてうなる曲」みたいなベタ誉めの仕方をされていたり、また後藤のソロコンでは涙を浮かべて熱唱したという報告もあったりするなど、「さほど売れなかった」という負い目こそあれ、おおむね好評を得たのであった。ごっちんの歌い手としての成長ぶりはもちろんのこと、また KAN という人が「愛は勝つ」から 15 年が経った今でもミュージシャンとしてちゃっかり健在であるってことは伝わったのではないか、とファンの贔屓目丸出しで考えているのです。

もっともぼく自身は楽曲の発表当時から「別にふつうのバラード曲」みたいな印象しか持てておらず、他のリスナーさんたちからの好評ぶりが意外にすら感じられたのだが、これはぼくの耳が狂ってるということで華麗に処理しておきたいと思っている。だって平素から梨華ちゃんの歌が超最高とか嘯いて悦に浸っているくらいですから。だいたい俺にいったい音楽の何が分かるというのか。このバカが。耳漏が! と、まちがった所信表明を軽くしたところで、以下に続く。