17 回目[仮説]

「この『大阪 恋の歌』って、実はシャ乱 Q 『上・京・物・語』(1994)のアンサーソングなのでは?」

web 上に点在している幾多の賢人によって最近そんな大発見がなされている。

なるほど、かたや新曲「大阪 恋の歌」が大阪を舞台に女性の視点から「♪遠距離なんて無理な二人」などと彼氏との離別を関西弁全開で未練がましく嘆き悲しんでいる曲、かたや「上・京・物・語」がやはり大阪を舞台に男性の視点から「♪そう いつの日か『東京』で夢かなえ僕は君のこと迎えに行く」と今まさに旅立たんとしている状況で彼女を地元へ残していくことを自分勝手に嘆き悲しんでいる曲、である。

舞台は大阪。彼氏が彼女を残して遠くへ行ってしまうがまだお互いはお互いに未練がある(特に女性側)・・・などなど、たしかに設定としての大きな共通点はいくつかあって、すなわち「大阪 恋の歌」っていうのは当時は男性の側からのみ一方的に描かれていた状況を、10 年以上の歳月を経て、今度はつんく♂がそのまんま女性目線から描いたものじゃないだろうか? という解釈が成立するらしい。

と言いつつ「上・京・物・語」の作詞は同じシャ乱 Q の「まこと」で実はつんく♂の手によるものじゃなかったりするのだけれど、その点はどうだろう。つんく♂が今なんかしらのきっかけをもとにあらためてシャ乱 Q 黎明期の曲を初心に戻って聴き直したあげく創作欲求が喚起されてしまい「よっしゃアンサーソングや! ファイナルアンサーソングやで!」とよくわからない思いつきを決行しても特にふしぎではない。

ただ単純な話としては、つんく♂にとってもともと重要な作詞テーマであるはずの「大阪」と、あとなんか恋愛過程におけるハートブレイク的な要素を掛け合わせてみれば、そりゃ 15 年くらいキャリアがある中で似たような曲が無意識的にせよ出現するのも必然だろうという気はするんだけれども。まぁ今回のこの件は、言われてみればたしかに聴こえる、という変則的空耳アワーな趣があって興味深いネタではある。

ちなみに注目のつんく♂公式サイトにおける「大阪 恋の歌」に関するコメントより抜粋

「コンセプトは『大阪弁でも、色っぽい16ビート感で!』です。」


大阪弁でも、色っぽい16ビート感で!』…

上・京・物・語」のことなど単なる深読みのしすぎではないか、というような気は、いよいよする。