てれびのスキマさんが築いたスタイル

てれびのスキマ(戸部田誠)さんが書かれた本が立て続けに2冊出版されました。おめでとうございます。
1冊がタモリさんに焦点を当てた「タモリ学」(イースト・プレス)。もう1冊が「有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか」(コア新書)。発売直後に購入して、あんまり面白くて興味深くてすぐに読み終えました。
今回の更新はそのお話です。


タモリ学」は本名の戸部田誠さん名義。「笑っていいとも!」が終了するタイミングで、タモリさん関連本やムックの出版ラッシュがあり、「タモリ学」もまたそのタイミングで世に送り出されましたが、ずーっと前から出版に向けた準備は行われていたそうです。小田扉さんが手がけた表紙などのイラストもほどよく力が抜けてチャーミングです。
タモリ学」はスキマさんにとって初の単著ということで、思い入れや出版の喜びもひとしおなご様子。そしてまったく個人的な話ですが、スキマさんの単著デビューは関係のない僕まで勝手に嬉しさをわけてもらっているような気分になってます。サイト名のニュアンスもどことなく似てますし。極めて大切な出来事だと思ってます。

有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか」のほうは、メールマガジン水道橋博士のメルマ旬報」の連載をまとめたものに加えて、有吉弘行さんに関する書き下ろしがたっぷりと盛り込まれたもの。
2冊の内容に共通しているのは、テレビやラジオや書籍など膨大な参考資料にひたすらあたり、そこから対象となる芸人さんやコンビの人物像をぐいぐいと浮かび上がらせていること。スキマさんご自身の主観はなるべく排除されているように見える。「てれびのスキマ」で培った芸風の延長で、さらにストイックに細密にひとかたまりの理論を構築し、硬派にまとめあげる。そんなスタイルを確立された印象です。お強いです。


単著だけでなく、かなりの頻度で雑誌やWebにも署名原稿を寄稿されているスキマさん。精力的にテレビ評を展開している。こうなってくると、活躍ぶりに往時のナンシー関さんが重なってみえるというのは、現時点ではどうしたって仕方がないことです。余談ですが「ナンシー関のテレビのすきま」というタイトルの記事が1989年の「週刊SPA!」に掲載された、という記録もあるようです(横田増生「評伝ナンシー関朝日新聞出版・巻末年表より)。
スキマさんご本人は「僕の資質を考えると、進むべき道はナンシー関さんではないと思っています。むしろ目指しているのは、文章での淀川長治さんなんです」とおっしゃってます。


ナンシー関さんが提唱して雑誌連載のタイトルにもなった言葉に「顔面至上主義」というものがあります。
この顔面至上主義という部分に関して、スキマさんも形を変えて継承しているのでは? という気がしています。

「顔面至上主義」は「人間は顔面」をモットーに、人を顔面だけで判断していいじゃないか、という主義である。
テレビに映った時につまらなければ、それは『つまらない』である。何故、見せている以外のところまで推し測って同情してやらなければいけないのだ。
そこで私は顔面至上主義を謳う。見えるものしか見ない。しかし、目を皿のようにして見る。そして見破る。それが『顔面至上主義』なのだ。
ナンシー関「何をいまさら」世界文化社刊)


強烈な主張です。「見えるものしか見ない」。その人の本音や本性、真実、ことの真相などはどうでもいいと。「見えるもの」がすべてだと。


スキマさんが新書で引かれている有吉さんの言葉にも、この顔面至上主義を連想させるようなものがありました。

「結局、相手が見た自分こそが『本当の自分』なんだから、そこに本音なんかいらない」
有吉弘行「嫌われない毒舌のすすめ」ベスト新書。スキマさんの新書から孫引き)


相手が見た自分こそが本当の自分。
有吉さん自身、長い潜伏期間に芸人でありながら一視聴者としてテレビを見まくってきた。それが“視聴者の意見を代弁する”という体裁で行われたあだ名芸の、いわゆる「おしゃクソ事変」につながった。当時の批評眼にはナンシーとの共通性が見えていました。


タモリさんも、こう言ってます。

「テレビっていうのはある面でおそろしいのは、その人の本当のところがよく映るんですよ」「テレビじっと見ていると、大体人間分かりますよ。表づらだけじゃなく。怖いですよ」
加賀美幸子「やわらか色の烈風」筑摩書房。「タモリ学」より孫引き)


そんな「タモリ学」のあとがきで、スキマさん自身もまたそういった立場を表明しているんですよね。

本来であれば、タモリさん本人や周辺の人たちへ直接インタビューしたりすれば、より深いタモリさんの哲学を知ることができたかもしれません。だけどタレントと視聴者という距離感こそが、「タモリ」を知るうえでもっとも適切な距離だと思ったのです。だから本書に引用した発言や紹介したエピソードはすべて、僕のような一視聴者、一読者の立場でも見たり聴いたり読んだりできたものばかり。“ウラ話”的なものは一切ありません。すでに“表”に出ているものをまとめるだけでも、こんなにも立体的に面白く見ることができるんだ、とテレビっ子として証明したい思いもありました。


「すでに“表”に出ているものをまとめるだけでも、こんなにも立体的に面白く見ることができる」というスキマさんの主張。
これは、ナンシー関さんの「見えるものしか見ない。しかし、目を皿のようにして見る。そして見破る」を、よりマイルドに、現在的にした、スキマさん流・顔面至上主義と言えるのではないでしょうか。そしてその主張には大いに賛同したい気持ちでいっぱいです。
ナンシー関さんのように太く、淀川長冶さんのように息の長いスキマさんのご活躍をお祈りしてます。