ナンシー関の「新刊」が発売されている

ナンシー関 リターンズ」(世界文化社)という本が 6 月に発売されている。

ナンシー関にとっての「新刊」であるが、もちろんナンシー関自身は惜しくも 2002 年 6 月に亡くなってしまっている。もう 7 年も前のことだ。7 年も前に亡くなっていても未だにこうして新刊が「単行本初収録コラム」集という触れ込みで発売される。後世に残るとはこういうことを言うのだと思う。

これ書いてるぼくはそんな「ナンシー関 リターンズ」を購入したので、その内容について以下書き記していきたい。


さすがに単行本未収録分と謳われているだけあって、「週刊文春」や「週刊朝日」などの連載で日常的に見てきたようなかっちりしたテレビコラムは、ほとんどと言っていいほど収録されていない。

ここで読むことができるのは、自伝を装った小説風の読み物、80 年代に「 TVBros. 」で書かれたテレビにまつわる小ネタ、「週刊プレイボーイ」での消しゴム版画つきの人物評、日常日記など。テレビコラムも申し訳程度に掲載されてはいるものの、正直「寄せ集め」の感は否めない。著名原稿をただ並べただけという感がある。

個人的には「彫っていく私」と題されたナンシー関の小説風の「偽」自伝は、あまり楽しめなかった。宇野千代の自伝的小説「生きていく私」のパロディのようなんだけど、そんなことするならナンシー自身の偽らざる「本物の」自伝のほうが遥かに読みたいし、たぶんずっとおもしろい。

2008 年に全国の PARCO を回った「ナンシー関 大ハンコ展」はとにかく物量として圧倒的だった。「ナンシー関 全ハンコ 5147 」という網羅的な本も出版された。しかしそれは同時に数千の消しゴムハンコというリーサルウェポンを使い切ってしまったことを意味する。ここにきてさすがに原稿のほうもネタが尽きつつある。資源は有限だ。

とはいえナンシー関のアーリーワークスにしろ単なる日常日記にしろ、その筆さばきに基本的に狂いはない。強靱な属性として生前から評価を受けていた「軸がぶれない」ことが、結局デビューから死ぬまでどんな原稿にもとことん徹底していたことがあらためてわかる。

そんな「ナンシー関 リターンズ」からいくつか面白い記述を項目分けしながら取り沙汰していきます。

ナンシー関のけしごむ偉人伝」(週刊プレイボーイより)


奥付の著者略歴によるとナンシー関の原稿デビューは 85 年の「ホットドッグ・プレス」誌上「ナンシーの漢字一揆!」とある。

それから 3 年の時を経た 88 年から 89 年にかけて、「週刊プレイボーイ」誌上で「ナンシー関のけしごむ偉人伝」が連載されている。毎回ひとりの「偉人」を取り上げて、消しゴム版画とともに 400 字以内のコラムにしてその偉人について論評するものだ。おおむね古今東西の著名な人物を取り上げている。

しかしこの連載第一回で取り上げられている「偉人」は、なぜか『プレイボーイで働いているバイトくん』であった。

その理由が記されている。

彼らはこの原稿を、私の家や事務所まで毎週取りに来てくれる。とても偉いし、皆さん素直で真面目な好青年だ。問題は私の家のインターホンだ。呼び鈴が鳴り、私がインターホンに出ると、彼らは「プレイボーイです」と一言名乗る。岡田真澄だって開口一番、そんな挨拶はしないだろう。やはり偉人である。
(p.50)

ナンシー関の連載自体はこれ以前からも続いていたらしいのだが、「偉人伝」に関しては、第一回にして早くも上記のようなネタ的展開に走っている。 あらかじめ編集部との連係が取れてるからこそ可能な内輪ネタだ。

これが第 2 回の偉人伝では「郷ひろみ」に続いた。さぁこれで今につながるナンシー関らしさの本領を発揮し始めたかなと見せかけといて、以降は坂本龍馬、一休和尚、西郷隆盛と歴史上の人物が連なる。

第一回のテーマ『プレイボーイのバイトくん』は単に本来のテーマに行き着くまで迷走していただけかも知れない。

ちなみに「棟方志功」の回で「今回でこの連載は終了です」と文中でいったん告知しといて、また翌週分もなにげなく連載が続いたりもしている。わりといい加減なところはあったようだ。


偉人を取り上げるコラムといえ、芸能ネタによく結びついてはいたようだ。以下に短く三例を挙げる。特に注釈は加えない。


・「坂本龍馬」の回

しかし、問題は武田鉄矢だ。
(p.52)


・「福沢諭吉」の回

誰の顔が札に刷り込まれようと、月日が慣れさせてくれるということだ。たとえそれが宍戸錠であっても。
(p.58)


・「吉田松陰」の回

尾形大作が『吉田松陰』というタイトルの歌を歌っている。
(中略)
吉田松陰』って、たとえば 50 年後ぐらいに『鈴木健二』って歌があるのと同じだろう。
(p.76)

「言葉の安楽椅子」(TVBros.より)


87 年から 88 年にかけて「 TVBros. 」誌上に連載されていた「言葉の安楽椅子」は、毎回ひとつの有名人の発言を取りあげてコメントをつける、というもの。消しゴム版画こそ添えられてないが、その後ナンシー関の代表的な連載となった「週刊朝日」の「小耳にはさもう」の原型ともいえそうな安定感がある。

この項についても三例挙げてみる。


小森和子発言「村西カントク今度おばちゃまのビデオも撮ってね」

ちなみに、おばちゃまのこのお願いに対し、村西監督の答えはもちろん「ナイスですね」。へんな会話。
(p.130)


西本幸雄発言「ワシに任せいという、大和魂がないとダメですね、デシンセイは

デシンセイもそれを求められちゃぁ立つ瀬がないだろう。
(p.135)


稲川淳二発言「どうゆう仕事が待ってるかわからないから海パンは持ってます」

「水をかけられた時に濡れた衣服を入れる黒いポリ袋」も常備。今更ながらすごい芸風だ。
(p.136)


稲川淳二がかつてリアクション芸人だったことを忘れてはいけないと思う。

ナンシー関の日常日記


ナンシー関が自らの日常を綴った比較的ゆるめの文章は、本人の公式サイト「ボン研究所」でたまに更新されていた。既に同名タイトルで単行本化されてもいる。

しかし「ナンシー関 リターンズ」に収められた 89 年から 90 年あたりにかけての日記は、若き日のナンシーの生活ぶりが垣間見られて貴重なものだし、テレビのこと書いてなくても十分おもしろいのが再認識できる。

たとえば月刊カドカワ 89 年 8 月号に掲載された日記。


・5 月 30 日(火)の日記

ここだけの話だが、今日は代々木第一体育館ブルーハーツなので仕事が手につかない。お恥ずかしい。
(中略)
何と言われようと甘んじて受けよう。ブルーハーツと共に至福の時を過ごした。追い打ちをかけるようだが、悪いけど明日の分もチケット持ってんだ。でへへ。

でへへ。


また「消しゴム版画家」としての面目躍如たるところが次の日記に凝縮されている。

・6 月 3 日(水)の日記

最近、消しゴムのメーカーから、でかい消しゴムを作ってやるという連絡が 4 社ほどあって、日本テレビの人たちがその工場を取材がてら回って各社のでかい消しゴムをもらってきてくれた。これ、すごいよ。畳半分大とか、幅 30cm で長さ 10m とか(運べないから 2m ぐらいに切ったけど)。家中消しゴムじゅうたん状態。消しゴムの上歩いてんだもん。確実に、今の私の家は日本で一番消しゴムのある家だ。
(中略)
我が家は史上最高のまぬけな状態になった
(後略)
(p88,89)

「消しゴム版画家」を生業にしていると、まぬけなことが勝手に舞い込んでくるらしい。

幻のアウトテイク


安達祐実に関するコラムが掲載されている。

「全国 9 百万小学生の象徴・安達祐実のピン CM がかもす『不安定』感」と題された文章だ。「広告批評」94 年 3 月号掲載分で、なんと連載の「第一回」らしい。

今月からこのページでお目にかかることになりました。どうぞ、よろしくお願いします。

と文頭で挨拶などしておりとても丁寧だ。

しかし、これは掲載された時期的には本来「何の因果で」という単行本に収録されているべきコラムなのだ。なのにどうやら今回初めて単行本化されている。なぜ今ごろまでお蔵入りになっていたのだろう。

安達祐実が小学校から卒業することを「不安定感」というキーワードと絡めて危惧した内容で、たしかにそれ以来、安達祐実の意味はめちゃくちゃ変わった。時評としての効力はまったく失われてしまっている。しかしそれは他の有名人やタレントなどについても同じことだ。特に瑕疵は感じられない。

こうした芸能時事コラムは年を経るごとにまず確実に鮮度を失っていく。ナンシー関のコラムもその宿命にあるはず。

それでもなお普遍的なものに感じられる。実際、安達祐実への言及についても子役全般に当てはめると半永久的に利用可能な文脈になりそうな気がする。時を超えて適用されるべき「枠組み」が、がっちり骨太で足場が安定しているのだ。

お蔵入りの理由はよくわからなかったが、そんなふうに単行本未収録という憂き目に遭ってきたコラムひとつとっても、訴求力が減衰していない。ナンシー関はもう亡くなっているし、誰が真似っこしたところで失敗に終わってしまうのだけれど、テレビのみならず物事を見るための枠組みとして、その筆致から学ぶべきことはなお多い。

「ナンシーの会」


最後に。

編集者渡辺祐氏の日記 6 月 21 日分に、「ナンシーの会」が催された、とあった。命日が 6 月 12 日なのでそのタイミングと合わせたものと思われる。

昨晩は、「ナンシー関の会」。竹中さん、鹿一さん、関口さん、ミっちゃん、小玉さん、のっさん、安齋さん、山五さん、川勝さん、いとうさん、えのきどさん、天久さん、敷島さん……ああ、もう勘弁してください(笑)、とにかく「おせち料理」級に炊き込んだメンバーぎっしり重箱状態で総勢 50 人ぐらい。

豪勢なメンツだ。一部略しすぎてわからない人もいるが、「竹中さん」は生前親交があったという竹中直人のことだろう。

で、このたび出版された「ナンシー関 リターンズ」の中には、えのきどいちろうと夜中から明け方まで話したとか、元力士の敷島の断髪式に行ったとかいうような、リアルなつながりを語ったエピソードが見受けられる。

渡辺氏の日記で「山五さん」と表記されてるのは山田五郎のことだろうか。そんな山田五郎のことも書いてある。


・96年1月のとある新年会にて

途中で山田五郎教授も顔を見せるが、近くでやってる山咲千里のパーティに呼ばれてると言ってすぐ姿を消す。数時間後、再び戻ってくるが今度はテレビの生放送があると言い残して六本木へ。すっかり売れっコの風。今にバチが当たるぞ。当たらなかったら、私が当ててやってもいいが。嘘だよー。
(p.111)

いつもの辛辣なコラム文体にあるような「嘘だが」という段落の締め方ではなく、「嘘だよー」とあくまでのんきなニュアンスをにおわせているところに、「生身」のナンシー関を感じる。

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