テレビで「歌」をまっとうして欲しい

テレビで「歌」が始まった瞬間、もう速攻で「間延びする!」みたいな空気が蔓延することが、最近よくあります。気のせいでしょうか? 生まれてすみません。

歌番組やバラエティ番組の種別を問わず、また歌ってる人がプロだろうとニセモノだろうとそれは同じことで、「ただ歌ってるだけ」の出し物の「間」がもちません。みんな「歌」を聞くのが退屈で仕方ないんじゃないか、と思えるほどです。

「歌番組でトークよりも歌のほうが視聴率が悪い」という話は、ずっと言われ続けている本末転倒。ましてやヒット曲が出にくくなっている今、「テレビにおける歌」はますます訴求力を欠いている印象です。

歌が始まった途端、その歌い手ただひとりが現場を独占することになるいっぽうで、他の出演者は手持ちぶさたにならざるを得ない。その「間」を埋めるため、手拍子したり、ペンライト掲げたり、「ガヤ」を入れたりする。もちろんそれ自体は不自然なことではないです。

気になっているのは、歌を取り扱う番組で、そんな「ガヤ」の演出が、なし崩し的にグズグズになってきて、結果的に歌い手がかなり蔑ろにされているんじゃなかろうか、ということです。気のせいでしょうか? ぼくは誰なんですか?


たとえば12日に放送されたフジ系「草なぎ剛の女子アナ2010 もっと知りたい女子アナのヒミツ」。いわゆる「女子アナSP」です。

この前半まるまる一時間が女子アナによる「歌がうまい王座決定戦」でした。生バンドを使わないカラオケ大会で、さほど大がかりなセットもなく、自前の女子アナだけを起用して歌番組を作るという、低予算で、安直で、くだらなくて、ぼくが超大好きな企画です。

たとえば高島彩アナが尾崎豊の「OH MY LITTLE GIRL」を歌っていました。これがきっちりうまいんです。

そんな歌の途中、終始画面の左上には「ワイプ」の小窓が表示されていて、スタジオでお笑い芸人が見てる顔が出ています。バナナマン千原ジュニアタカアンドトシ、オードリー、はんにゃ、フット岩尾。そして司会の草なぎ剛。これもいいメンバーだ。

ワイプ程度はまだ問題ない。それどころの話じゃないんです。

聞いてる人たちの顔が画面全体に映し出される時間。尺。これが永遠かと思うくらい、ものすごく長かったんです。


ケース1:

アヤパンが「♪街角のLove Song〜」と歌い出す

画面からアヤパンが消える

ひな壇のバナナマンフット岩尾千原ジュニアらが映る

芸人達が口々に喋る

設楽「うめーなーやっぱ」
千原ジュニア「(後方の設楽を振り向いて)うまいな」
設楽「ねぇ、うまいっすよね」


千原ジュニアの顔面アップが映る

千原ジュニア「違う(ちゃう)わ」


またアヤパンに戻る


なんたって歌の間に「芸人同士の感想トーク」が挿入されるんですよ!

この間、約7秒。設楽や千原ジュニアが、アヤパンの歌を聞きながら誉める。誉めるのは気持ちのいいことです。ただ、その顔が、ひたすら画面に映っている。話も聞こえてくる。そのせいで肝心のアヤパンの顔がまったく映らない。歌も音量が小さくなってる。

せっかく歌ってるのに!


ケース2:

アヤパンがサビ「♪Oh MY LittleGirl 暖めてあげよう」を熱唱

また画面からアヤパンが消える

ひな壇のオードリー、タカアンドトシが映る
(タカがいっしょに口ずさみ始める)

ひな壇で若手女子アナが身体を揺らしているのが映る
(特に誰も口ずさんでいない)

草なぎ剛の顔アップが映る
(別にどうってことない)

またアヤパンに戻る


この間もやはり約7秒。今度は「ただ歌を聞いてるだけの人」の顔が、立て続けに3カット連なりました。ふつう挿入してもこっそり1カットが限界でしょう。「3カット」ってどういうことですか。そしてやはりアヤパンの歌声「だけ」が聞こえてくるのみで、姿は神隠しです。

せっかくサビ歌ってるのに!


別にぼくがアヤパンに執心だから言うのではなく、他の女子アナが歌ってるときも同様、その場で「ただ歌を聞いてるだけの人」の喋りはもちろん、顔までもが、ときに不自然なほど長時間、まるで歌を遮るがごとく流れてくるのでした。

しょせん会社員たる女子アナのカラオケですから、芸人によるガヤのコメントをがんがん被せていこう、っていう目論見は理解できますし、ましてや草なぎの顔を挿入しなきゃいけない、ってのもわかります。

でも、共演者の具体的な「ガヤ」の声がダイレクトに歌声に被ると、さっぱり歌が聞こえない。「間」を埋めるために、聞いてる人の表情を挿入したりすると、それ自体がまた別の「間」を生んでしまう。

「自分はいま何を見てるのだろう?」と、よくわからなくなりました。


同日12日のTBS系「うたばん」は生放送で「うたばん紅白歌合戦」という企画が放送されてました。主になつかしVTRを連投するという手段で、数々の名曲を流しています。

そんな「うたばん紅白歌合戦」のトリは、中居正広ソロ歌唱による「世界に一つだけの花」でした。やぁめったに聞けない。「うたばん」ならではの企画です。中居はネタ的に「歌へた」ですが、そこそこきっちり歌い始める。貴重な場面です。

ところが中居が歌い出してからほどなくして、石橋貴明が小芝居を打つ形で、なんと「CMタイム」に入ってしまいました。

これって「中居がソロで歌ってるのにCM入っちゃうとかwww」という冗談めいた演出ですよね。CMが明けたころには、中居の歌もほぼ終わりかけていました。

もちろんそういう冗談だし、お笑いとして成立させるためには正解だった。しかしですよ、ぼくがそこに欲しいのは「ちゃんと歌を聞かせて成立させる」という堪え性です。

中居の生ソロ歌唱が聞きたかったんですよ。


これも12日の同じTBS系「リンカーン」。

ウド鈴木が進行する演歌コーナー「演歌のフラワーロード」で、雨上がり決死隊の蛍原が、石川さゆり津軽海峡・冬景色」を歌っていました。女性の高いキーに苦しみながらホトちゃんは歌いあげようとします。

サビに突入し、いよいよ最後まで歌いきろうとする。

そう思っていたら、途中から大量の「雪」的な舞台装置の白い紙がドサドサ降ってきて、そのあまりの「雪」の多さにむせて、ホトちゃんは歌えなくなってしまいました。

もともとそういうコーナーなんです。いいコントです。

でも、やっぱりホトちゃんの「津軽海峡・冬景色」を、最後までちゃんと聞かせてくれない。立て続けにこういう「歌の寸止め」を喰らうと、なんのこっちゃ、という気にもなるというものです。


「なにかひとつ乗っける」ということをしないと、テレビの歌って成立しないんでしょうか?

決してそんなことないと思うんですけれどもね。演出上の工夫が逆効果になってることが、けっこう多い気がするんです。どうなんでしょう。ぼくの歌にかける気持ちは伝わりましたでしょうか? なんなんですかいったいこの更新は。