伊集院光の「書き手」という第三の魅力

先週の土日、池袋サンシャイン噴水広場で行われたイベントに伊集院光が登場しました。

PC メーカー「レノボ・ジャパン」主催の Windows7 搭載 PC 発売に際したイベントです。土曜の午後に眠りから覚めると、ネットで「こんなイベントがあったよ」と事後報告的に初めて知らされた僕は、「そんなの行けばよかったに決まってるし!」と自らの情弱ぶりをひどく呪いましたが、なんと翌日の日曜日にもまったく同じイベントが催されるという話だったので、喜び勇んでゴーでした。

伊集院光をナマ目撃したのは 2002 年 3 月、横浜アリーナでおこなわれた TBS ラジオ主催のイベント「LIVE954」以来のこと。このときは伊集院光爆笑問題コサキンさまぁ〜ず、そしてまだ山本がいた極楽とんぼ、あるいは松浦亜弥タンポポなど、当時 TBS ラジオで番組を持っていたパーソナリティ達による素敵なイベントでした。伊集院光をナマで見られる機会って、ネタ引っ提げて営業で地方まわったりしないぶん、意外と少ないんですよね。

久しぶりに遭遇したナマ伊集院光は、ステージに登場したその瞬間から面白ワードを挟みつつ延々喋りどおしという相変わらずの怪人でした。

スポンサーの手前ということもあって大人な分別は当然あり、深夜のテンションのままの脳汁垂れ流したようなトークご開帳とはいきませんでしたが、それでも約 30 分の枠の中で汗だるまになりながら、司会のお姉さんのかぶってたモコモコした白い帽子に言及して「羊のタマキンみたいですね」くらいのことは言っていて面白かったです。

普段はなかなか感じることのない肉体の「圧」みたいなものが至近距離で感じられ、全身に搭載しているトークのエンジンがまるで別物なんだなぁ、とあらためて思い知らされた日曜日の昼下がりでした。


さて、そんな伊集院光ですが近ごろ「仕事量を意図的にセーブしている」状態が続いています。

2008 年 3 月、10 年間にわたって放送されてきた TBS ラジオ「伊集院光 日曜日の秘密基地」を自らの意思によって終了。この時期を境にテレビの仕事も制限するようになったようです。はたして 40 歳の声を聞いたあたりでなにか考えることがあったのか。

こんな理由もあるようです。

ラジオパーソナリティとしての更なる成長のために、一日の生活の中で無駄な(あるいは無駄だと思える)時間をもっと過ごす必要性を感じたとして、2008 年4月以降は敢えてメディア関連の仕事を減らす意向であることを明らかにした。(伊集院光 日曜日の秘密基地 - Wikipedia

軸はラジオということなんでしょうか。


先日亡くなった三遊亭圓楽にも似たような時期があったらしいんですよね。

元落語家でもある伊集院光の師匠は三遊亭楽太郎で、そんな楽太郎の師匠は三遊亭圓楽。すなわち伊集院光圓楽のいわば孫弟子にあたる存在です。圓楽が「笑点」の創立メンバーなのは言わずもがなですが、昭和 40 年代はテレビという枠の中全体でも引っ張りだこの大スターだったという話があります。

今でこそ大師匠としてのイメージが強い圓楽ですが、テレビ出まくっていた若い時期には「本業の落語をちゃんとやれ」みたいな風当たりも強かったそうです。圓楽の師匠の三遊亭圓生がとあるトーク番組でそんな弟子を見とがめて「圓楽はもうダメです」とバッサリ斬り捨てた、なんてシビアなこともあったらしい。

そんな流れもあって圓楽は昭和 52 年、「落語に専念するため」という理由で、番組草創期からほぼ間断なくレギュラー出演していた「笑点」を含むすべてのテレビレギュラー番組を降板したのだそうです。

昭和 58 年、当時の「笑点」司会者だった三波伸介の急逝で、番組に超ゆかりのある圓楽に司会者としての白羽の矢が立ち、圓楽は「笑点」に復帰。それ以降、健康上の理由で降板するまで司会者を務めてきましたが、結局「笑点」以外のレギュラー番組を持つことはあえてしなかったようです。

この割り切り方が、なんとなく伊集院光の現況と重なるような気がしないでもないのです。こじつけのような気もします。


仕事量をセーブする少し前からですが、BS デジタルで「伊集院光のばんぐみ」が始まりました。

伊集院光が企画段階から主導権を握っている冠番組で、DVD もそれなりに売れているらしく、また番組は一度終了しても「伊集院光のしんばんぐみ」として復活を遂げたりするなど(それも半年で終了したようですが)、一過性のものでは終わっていないようです。

旧来の伊集院光のイメージはといえば、テレビ番組では毒ひとつ吐かない温厚な自称「微笑みデブ」のいわゆる「白い伊集院光」。しかし深夜ラジオではまるで別人のように毒舌でブラックな「黒い伊集院光」。そんなレッテルがわかりやすくもありました。

でもここ数年、そんな分類がめっきり意味を為さなくなっている気がします。「伊集院光のばんぐみ」では地上波では出来ないような先鋭的な企画を行っているようだし、逆にラジオではいい意味で「ふつう」の話をすることがままある。

逆転現象が起こり始めました。


そして極めつけは、テレビ、ラジオとはまた違う「物書き」という第三の伊集院光が出現していることです。

本格的な著書としては初となる「伊集院光のはなし」が 2007 年に、そして続編の「伊集院光のはなし 2 」がついこないだ発売されています。この二冊こそ、伊集院光のタレントのキャリアとして、相当に大きなターニングポイントになってるんじゃないかと思っています。

週刊ファミ通」でコラムを長年書き続けているなど書き手としての仕事はずっと以前からありましたが、それが「のはなし」で結実したようです。尋常じゃない引き出しの多さ、たくましい妄想力、言葉の使い方、様々な事物に対してのマニア的なこだわり。それでいて、ラジオ生放送でやるように話の途中で脱線するようなこともない。そのぶんエピソードの内容そのもの、構成の妙でほんのりくすぐってる感じの文体です。あんまりはしゃがない、ふしぎな空気感。

これまであまり世に大っぴらにはなっていなかった書き手としての顔が、「のはなし」 2 冊によって広く浸透したのではないでしょうか。


現在、伊集院光がさらに物書き的な能力を拡充しているのが「Twitter」でのつぶやきぶりですよね。

これまではプライベートの日記を、あえて「ブログ」と称しながら、しかし決してネットにつなげることもなく自分の PC でこっそり書いていたらしく、そのテキストをネットで読む機会はほとんどありませんでした。しかもつい先日 10 月 26 日深夜に放送された「深夜の馬鹿力」では

「俺、ツイッターとかミクシィとか言われると反射的に『うさんくさい!』って思って敬遠しちゃう」

などと、ネットサービスに対する嫌悪感まで表明していたのです。

ところがその舌の根も乾かぬうちに、その 10 月 27 日の夜には、シレッと Twitter を開始してました。「言ってることとやってることが違うんじゃないの」みたいな批判もあると思います。でも、気になってるからうっかり上っ面で悪態を突いてみるとか、よくあるよくある。「ネットの新しいサービス」に懐疑的になるのはみんなそうでしょうし、いっぽうで実は興味津々だったりするんです。

伊集院光Twitter でのつぶやきは妙に肩の力が抜けているものです。従来のテレビ的でもラジオ的でもなく、しいて言えば「のはなし」的な書き手としての伊集院光の延長線上にあると言えそう。「のはなし」が過去のエピソード、「ファミ通」がゲーム話、という特質があるのに比べて、Twitter ではそのサービスの特質を捉えて「今」の伊集院光が逐次報告されている。毎日のスケジュールが漠然と分かってしまうほど Twitter に重心が乗っている印象です。

本人が自己紹介欄で「お試しでやっているので、突然終わります。」と言ってるように、いつまで続くのかはわかりません。とはいえ、一般人のユーザーと@つきのメッセージをやりとりしていたりと、伊集院光との距離感がものすごく近く感じられるようになったのは早くもたしかです。本人のラジオにハガキやメールを送ってそれが読まれるのと、そう変わらないはずなんですけどね。


もとはといえば池袋サンシャイン噴水広場でのイベントのことを知り得たのも、伊集院光Twitter で発した

「噴水広場でパソコン関連のトークショーって珍しいと思う。普通はアイドルとかだろう。噴水でパソコンびしょびしょになっちゃうし。ならないって。」

というひとりノリツッコミなつぶやきがきっかけでした。

伊集院光を通して見える世界が、ぐるぐる循環してつながっているようです。


のはなしに
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