電気グルーヴの歌詞世界が遂げた変遷

電気グルーヴが大好きなんですけど、マニア度が浅すぎるため、むしろ自分がファンであることに引け目を感じてすらいます。

それでも結成 20 周年を祝う気持ちに代わりはありません!

そんな電気グルーヴの 20 周年を記念したアルバム「 20 」が 8 月 19 日に発売されるので、今回はその歌詞世界について、めちゃくちゃ恥を忍びながら、さらっと大雑把になぞります。


08 年に発売された二枚のアルバム「 J-POP 」「 YELLOW 」は、そこに収録された楽曲がたくさん演奏されたライブツアーも盛況でしたし、その模様を収めたライブ DVD「レオナルド犬プリオ」もファンサービス満載の抜群の出来映えではありましたが、アルバム作品単体としては、どちらも正直ずっと地味な印象のままです。

電気らしさ、なんてものは一概には言えるわけはないんでしょうけど、たとえば歌詞の世界ひとつとってみても、上記の近作では、いわゆる“電気らしい”言葉の繰り方が、ほとんど影を潜めているようでした。というより「今後はもうこの路線に進んじゃうのかな?」というような不安な新規性に充ちていました。

ものすごーく大ざっぱに言えば、歌詞のおふざけの性質が、ゆるやかにシフトチェンジしていったように思ってます。若い頃の作品の「いかにも面白げで軽薄なフレーズを勢い任せにつなげて結果的にお笑い世界をきっちり構築する」から、「不可思議なフレーズを語感重視で並べながら結局何を言ってるのか全くわからない」へ。そのスタンスごと、もう世界まるごとって感じで変貌を遂げてきたようなのです。

その方向性、クオリティ、狂気の匙加減は一曲ごとにまったく異なっているのですが、アルバムごとに歌詞を見ていった場合のトータルの到達点は、96 年の「 ORANGE 」だと思ってます。「キラーポマト」「誰だ!」「ポパイポパイ」など、今振り返ったらギャグめいた物言いなんて時代性を伴うものなのでだいぶ寒い部分もあるんでしょうけど、誰にもわかりやすいおふざけの仕方でした。電気が積み重ねたひとつの歴史です。

・「誰だ!」('96)

誰だ! プールサイドを走るヤツは誰だ!
誰だ! 三国志を全巻揃えてるヤツは誰だ!
誰だ! 俺のビデオ消したヤツは誰だ!
誰だ! お前 誰だ!
誰だ! ねるとん方式を取り入れてるヤツは誰だ!
誰だ! ここにあったカステラを食べたヤツは誰だ!
誰だ! 俺にシール貼ったヤツは誰だ!

「 ORANGE 」リリース翌年の 97 年、電気グルーヴは「 A 」という名アルバムを世に送り出しました。歌詞のおもしろさは「ガリガリ君」などに残っているものの、「かっこいいジャンパー」「あすなろサンシャイン」「ループゾンビ」など、タイトルに素敵なフレーズがついた作品は、そのおもしろさをかっこよさのほうが遥かに凌いでました。

「 A 」にも収録されている最大のヒットシングル「 Shangli-La 」の作詞にあたった瀧は曲作りの段階で「『トロフィー』っていう単語しか浮かばねぇ…」とスランプに陥ったそうです。もしかするとクソ曲のほうがイマジネーションが膨らむという傾向があるのかも知れません。

そして砂原良徳が抜けた 00 年の「 VOXXX 」では、歌詞にしろ曲にしろ、よくも悪くも作品がぶっ壊れてしまいました。言葉が備えている筈の辞書的な意味が剥がれ落ちてきた時代です。収録曲のひとつ「エジソン電」に関して wiki に載ってるエピソード(=「聴取者を不安にさせる恐れがある」という理由でラジオでのオンエアを断られた逸話を持つ楽曲である。」)が、それを端的に物語っています。たしかに何も知らない人がラジオで「エジソン電」を耳にしてしまったら、なにか世界的な戦争が始まりそうな恐怖感に苛まれたりしそうです。

・「エジソン電」('00)


で、話は戻って近作「 J-POP 」や「 YELLOW 」では、そこに一見もっともらしい言葉が大量に散りばめられてはいるものの、実際そこに意味を持たせることを、ほぼ放棄してしまったようなのでした。意味するものの過剰供給に比して、意味されるものはあまりに空虚。語感や音感それ自体が歌詞としての存在理由のようである。突き詰めていくと言語学の分野にまで話が及びそうな、ひとつの限界と思えるようなレベルにまで歌詞における言葉のあり方が究められています。そしてそれは、さほどおかしみのあるものではない。

・「ア.キ.メ.フ.ラ.イ」('08)

新品電子は人嫌い
だから全面機械で守護未来
千変万化の修羅期待
されど三半規管の処理次第
上海帰りは伊達じゃない
だからヤンバルクイナは蟹じゃない
戦国の沙汰も金次第
過去にさかのぼるほどの佇まい

そんな不安な時代を経て、電気グルーヴ 20 周年アルバムの発売ですよ、と。

収録楽曲の中から「電気グルーヴ 20 周年のうた」「ピエール瀧の体操 42 歳」「タランチュラ」などのいくつかの音源が、映像つきで公開されています。伊集院光のラジオでは昨日「エンジのソファー」もかかりました。

インストの「ピエール瀧の体操」シリーズが、もはや瀧の人生そのものを賭したアートの域に達しているのはいったん度外視するとして、これらの曲の歌詞を聞くかぎり、「 J-POP 」「 YELLOW 」はもちろんのこと「 VOXXX 」や「 A 」さえ突き抜けて、96 年の「 ORANGE 」にまで歌詞のセンスが一気に回帰してる印象を受けています。

面白いフレーズが、完璧に間違った文脈で、次々と塗り重なっていく。どこか懐かしさすら覚えます。なにより意味がわかる! 近作でハナから放棄していた言葉の意味が急速に取り戻されたようなのです。意味がわかった上で「まったく意味がわからない!」と腹よじって笑えそう。それでいて四十路をとうに迎えたおっさんなりの生身のグロさが加味されているのです。すばらしくくたびれています。だがそこがいい! はたしてこれが進化なのか退化なのかはわかりません。


電気グルーヴ 20 周年のうた('09)

前髪垂らした 知らない動物が
便所の窓から 覗き込む
電気グルーヴ 20 周年
死んだ鼠を 咥えてる


銭湯帰りに死体を見つけたの
自転車置き場でこっちを向いてたの
電気グルーヴ 20 周年
喧嘩御輿で 死者が出る

電気グルーヴ 20 周年に敬礼(&屠殺)!