電気グルーヴ20年の歩み

電気グルーヴ 20 周年アルバム「20」は CD 2 枚+ DVD 1 枚の合計 3 枚組という重厚感のある仕様で、全体的な赤、白、黒という三色のデザインも高級感さえ感じる色彩です。

歌詞が載ってるブックレットは「全 45 ページ」とボリュームがあり、特に「バイオグラフィ」が充実してました。25 ページに渡って写経かと思うくらい細かい字で電気グルーヴの歴史がびっしり記載されています。

感銘を受けたので、以下にほんの一部ちょこっとだけですが、ごく初期の活動に関する記載を抜粋してみたいと思います。当方うすらファンとしてなけなしの思い出をガチファンの方々と共有できれば幸いです。

1967
04.08 ピエール瀧静岡県静岡市に生まれる
12.26 石野卓球静岡県静岡市に生まれる


1989
04.27 石野卓球ピエール瀧を中心に、初台のデニーズで「電気グルーヴ」結成


1990
08.27 初めて出演したテレビ番組「冗談画報」(フジテレビ)が放映
※この日の楽屋で瀧の屁が初めて喋り出す
09.02 渋谷インクスティック DJ バー
※「N.O.」の「踊るポンポコリン・バージョン」を演奏。曲間を瀧が DJ でつなぐはずだったが、1 曲目でコンセントに足をひっかけて抜いてしまう。あわててコンセントを差し込もうとしてさらに感電。無音の会場に「アギッ!」という叫び声が響いた


1991
01.05 渋谷ラ・ママ
※石野、ライブ開始からラスト 1 曲まで客席に居続けるという奇行を強行。歌ったのは最後の 2〜3 小節だけだった
02.13 横浜CLUB24
※番組収録用のオールナイトイベントだったが、観客 5 人。瀧、女性客を小脇に抱えて会場を走り回る
02.17 原宿クロコダイル
※砂原のバンド「オーティズム」と共演。1 時間半の持ち時間にも関わらず、尺の短い「CATV」など 3 曲のみ。後は MC をしたり、客席で煙草を吸ったり、客の酒を飲んだりして持ち時間を過ごした
03.16 博多マリアクラブ
※博多のディスコでのテレビ用ライブ収録。現地のイケイケギャル(仕込み)が待ちかまえる中、B'z の曲にのって呼び込まれるという演出が強烈。演奏が始まるとイケイケギャルは引きまくり、フロアで踊っているのはイラン人と初老の紳士のみとなった
04.13 大宮フリークス
※当時のマネージャー戸井田が帰途、車で猫をはねる。その後、魚ばかり食べたり、水を極端に怖がったりと奇行を連発
05.09 原宿ルイードにて全裸記者会見
CMJK 脱退と「瀧勝」デビューを、素っ裸&股間に紙コップというフォーマルな姿で発表
06.06 仙台 141 ホール
※このライブを最後に CMJK 離脱。彼の母親が持ってきた差し入れのサクランボ( 2 パック)は、瀧がホテルですべて食べ尽くし、その後責任を感じて自決
08.23 ドリル・キングレーベルより瀧勝「人生」リリース
※プロモーションで登場したテレビ、雑誌では瀧勝の事を本物の演歌歌手と勘違いされることが多く、冗談が通じない場面もしばしば。真顔で朝のテレビ番組のゲストに出たりする事もあった。なお、瀧勝はこの一ヶ月後に死亡予告
12.06 下関シーモールホール
※打ち上げ後、酔っ払った石野、雨の路上で見ず知らずのオヤジと殴り合いの大喧嘩。その後、そのオヤジが生き別れていた実の父親という事が発覚、意気投合して呑みにいく


1992
07.23 新宿日清パワーステーション「HARUO IN DANCE BEAT」
※演歌歌手・三波春夫とのジョイントライブ出演。瀧勝が登場し「おまんた囃子」などのコブシを教授されるが、結局音程をハズしてしまうという愉快な演出を三波サイドが提案。仕方なく自殺モノのボケを披露。現在でもふと思い出すと、椅子からつい立ち上がってしまう程の後遺症
09.06 西武所沢球場「ニッポン放送夜班祭・オールスターファミスタ対決」
※ゲームのイベントとライブという組み合わせ。ライブ中、事前に注意されていた球場使用注意事項をほぼ全て破り、球場への立ち入りを以降禁止される
10.28 名古屋ダイヤモンドホール
※「全国鼻毛あばれ牛ツアー」開始。ツアー名は当初「全国死尿食べある紀」だった。メンバーはこのタイトルをいたくお気に入りだったが、新聞に掲載できないことを理由に却下された


1993
05.13 広島南区民文化センター
※「Kicking Noise of Denki Groove 〜超巨大ダンプ豚グソ号発進ツアー」開始。BPM を異常に早くした「マイアミ天国」で石野が窒息死。広島ワイワイハウスにて葬儀はしめやかに行われた
05.31 愛知県勤労会館
※遅刻した石野、間違えて別の会場(着物展示会開催中の名古屋公会堂)に向かってしまう。「あのー、今日ここに出演する者なんですけど……」「ハァ?」
08.01 ドリルキング・レーベル第二弾、子門'Z による RC サクセションのカバー・シングル「トランジスタ・ラジオ」リリース
※メンバーのチヨノフG、ナガシマシGEO、ライDEANはこの 1 ヶ月後に死亡予告
08.09 東京ドームのニッポン放送開局 40 周年記念「ザ・ライブマシン'93」に子門'Z が出演
※石野がギター、砂原がティンパニー、瀧がトロンボーンなどを携え、ゴダイゴの「ガンダーラ」「モンキーマジック」、寺尾聡の「ルビーの指輪」をうろ覚えで怪演
08.17 神奈川県民ホール
※関東近県「汚物処理班緊急出動ツアー」開始。マスコミ招待日のこの日、暴走特急と化した石野は己を全裸まで昇華。そして解脱


1994
03.29 ラジオ番組「オールナイトニッポン」最終回
※番組終了後、ニッポン放送玄関前におよそ 500 人のファンが呼んでもないのに押し寄せる
04.26 京都会館第二
※「下痢便発電所異常なし'83 ツアー」開始。このあたりからメンバー間で、相手の財布から勝手に紙幣を抜きとって貯金するという遊びが大流行。最終的に砂原が石野から返してもらった通帳には 23 万円もの残高があった
12.05 仙台サンプラザ
※「たんぽぽツアー」開始。当初ツアー名は「元祖生理用ショーツに陰茎ねじこみ健康法」だったが当然却下、サブタイトルとなる
12.14 月寒グリーンドーム
※砂原の地元に凱旋ライブ。打ち上げで泥酔した砂原、数時間昏睡状態に陥る。目を覚ました時に最初に発した言葉は「あれ課長どこ?」


電気グルーヴは 20 年間、このように一歩一歩、着実に、日本のミュージックシーンに歴史(と汚名)を刻んできたんですね。もう、敬礼! って感じです。わけが違う。


【感想】
さんぷんまるのうた」の原型ともいえるテレビサイズバージョン(瀧のボーカルがのほほんとしてて大好き)や、「墓場鬼太郎」テーマとしてやはりテレビで流れたままの「モノノケダンス」などの収録が嬉しかったです。

他には DVD にデジタルコミックとして一編まるごと収録された「前髪タラちゃん」(作・アルミ伯爵)が完全に生きる気力を失わせる出来。「ピエール瀧の体操 42 歳」はもはや国家プロジェクトとして我々の生活に定着しているわけですが、むしろその並行世界としての「みんなの体操 42 歳」は前衛アートとして非常に難解でした。