「ド S 」や「ド M 」の意味の消失

さて唐突ですが「 SM (エスエム)」とはサディズム( Sadism )の「 S 」と マゾヒズム( Masochism )の「 M 」をドッキングさせた用語ですね。

ムチでしばいてしばかれて、みたいな SM プレイなんてことは同じ趣味をお持ちの紳士淑女の方々がご自由にしていただければ、たいへんけっこうなことです。


そんな「 SM 」。

スナイパーとか薔薇族とかよく知りませんがそんな比較的ディープなあたりとは無縁の、すなわち凡人レベルでこの言葉を用いる場合は、もうちょっと意味がライトになることが大半です。

「 S 」にしろ「 M 」にしろ、あくまで人間性を大まかに分類する上でのお戯れというか、性的な意味はほとんど含まれず、せいぜい

「他人に対して攻撃的なのが『 S 』で受け身なのが『 M 』」

みたいな分類に留めておくのが常識的ですよね。


「ド S 」や「ド M 」などの言い回しがあります。

いずれもダウンタウンの松本が世に広めたものと言われています。「浜田はド S 」みたいな。わりと日本語としては新しめの表現です。

ただ単に SM なだけじゃない、輪をかけた SM ぶり。接頭語「ド」が付着して「ド S 」「ド M 」になることで「 S 」および「 M 」としてのグレードがより高まります。


いや、原則的には高まるはず、だったのです。ほんとうは。


でも最近思うんです。

「ド S 」にしろ「ド M 」にしろ、接頭語としての「ド」の意味が、まるっきり消失しちゃいないでしょうか? ぜんぜんグレードが高くならず、ましてや性的な意味も伴うことがない。そんな気がするんです。

変なの!

というのが本日のお題でございます。


いっそのこと「 S (エス)」とか「 M (エム)」とか、あるいは「サド」とか「マゾ」とか、素材そのままの味を生かしてダイレクトに言ってしまうほうが、アンタッチャブルな雰囲気が漂いましょう。

杉本彩あたりが言うと俄然リアリティを帯びますね。


だのに「ド S 」「ド M 」のほうが表現としてよりクリーミーにマイルドになる。

そんな逆転現象が起こっとるわけです。


発語する上でのイントネーションも関係してるかも知れませんね。

「ドエス」「ドエム」

ともに真ん中の『エ』にアクセントを置くのが基本なはずです。

「ド」がつくアクセントの類例としては「ド真ん中」「ド根性」「ド直球」などが挙げられますが、いずれも『マン』『コン』『チョッ』にアクセントが置かれます。

しかし「ドエス」「ドエム」に関しては、後半の『エス』『エム』を平板化して読むことが多い。

イントネーションの変化、平板化に伴って、言葉としての具体性が失われている感があります。意味が過剰すぎるが故に自浄作用が働いた、ってところでしょうか。