「志村けんのだいじょうぶだぁ」を見て甦った「鬱展開」の記憶

2 日のフジ系「志村けんのだいじょうぶだぁ」 2 時間スペシャルを見た。

コントオンリー。しかもオール新作だという。とはいえ、志村けんが下ネタ連発、セクハラ放題、老人キャラで手を震わす、頭イカレ気味の男を演じてキモがられる、そしてリーサルウェポン「変なおじさん」でパジャマ姿の優香に襲いかかるなど、志村コントの粋を集めたそんなコント群はお約束にまみれている。

もう何十年も同じようなものを見せられてるような気もするし、これ家族といっしょに見たら絶対気まずくなるだろうってこと請け合いの内容でもある。

ただ、あんまりバカすぎて正直声を出して何度も笑った。おもしろかったです。


深夜のレギュラー番組(現在は「志村屋です。」)はずっと続いているものの、常時見たいという気持ちにはなれず、このたびスペシャルという機会に、ベタでエロでバカな志村イズムが発揮されまくってるのを久しぶりに見て、うれしくなった。

特に柄本明との与太話を延々と繰り広げる芸者コントが相変わらずくだらなかった。志村と柄本ふたりのだる〜んってアゴしゃくれちゃう感じの「顔」を見てるだけで噴き出す。

また「乾き亭げそ太郎」という名前が出演者テロップのかなり目立つところにポジショニングされていて、「誰だろう?」と思ったが、いつも「バカ殿様」でメガネをかけた家来として出演している人だった。

しかも志村けんの弟子だという。弟子なんていたのか。

またこの芸名「乾き亭げそ太郎」を命名したのはダチョウ肥後克広有吉弘行らしい。なにやらおつまみ的な「乾き亭げそ太郎」。芸名というかまるで有吉のつけるあだ名みたいだ。ちなみに髭男爵のひぐち君に有吉がつけたあだ名は「三遊亭ショボ太郎」だ。


ところで途中、ひとつこんなコントがあった。

志村けん扮する父親が優香扮する娘を連れて歩く。妻は「買い物に行く」と行ったきり 3 ヶ月も帰ってこない。ド貧乏で雨が降っても濡れっぱなし。娘が風邪をひいても満足に薬も買えない。水たまりをよける長靴も買えない。ひもじい生活。

それでもなんとか 500 円の長靴を娘に買いあたえて束の間の幸せをかみしめる。水たまりにもどんどんハマれる、とはしゃぐ優香。

しかし調子にのって親子ふたりで大きな水たまりに入ってみたら、実はものすごく底が深くて膝上までどっぷりハマッてしまう。身動きが取れない。

いかにも悲劇を演出する旋律の音楽が流れる中、ふたりにはピンスポットライトが当たり、その周囲はすべて暗転。微妙に暗ーい感じで終わっていく。そんなコント。

それなりに笑いどころもあったし、またおなじみ「笑い屋 SE 」的な音声も挿入されていたので、素直に笑っていいコントという受け取り方をして良いのだと思う。しかし「バカ親子」みたいに鼻垂らしたりふざけた言動をするわけでもなく、「貧乏で満足にモノが買えない」ということにやたら重みがあって、ほんのりシリアスなコントだった。


このコントを見ていて思い出したことがある。

志村けんのだいじょうぶだぁ」がまだレギュラー放送をしていた時代、じっとコントだと思って見ていたら、実はそれがコントでもなんでもなく、笑いどころはおろか「笑い声 SE 」もそして演者たちのセリフすらいっさい無く、ただただ無言でひたすらシリアスに終わる「ミニドラマ」だった、ということが何度かあった。

もう 15 年以上前のことになる。石野陽子(現いしのようこ)や松本典子、そして田代まさしがレギュラー出演していた月曜 8 時の時代のことだ。

コントをシリアスの方向に振るだけ振っておいて、でもオチは「変なおじさん」でした! なーんだくだらない! というどんでん返しなら、まだいい。たとえ予定調和であろうともそのほうがオチが効果的だ。

ところがそれをあえてシリアスなままで終わらせる。

ぼくがちょっとトラウマなのは、志村けん石野陽子扮する老夫婦みたいなのが、海岸の砂浜から海のほうに一歩一歩近づいていって、そのまま荒れた波に沈んで消えていってしまう…というワンシーンだ。笑いどころもオチもない。謎を残したままこの「コント」は終わるが、もちろんもはやコントでもなんでもなかった。

「そういうドラマだ」と最初から心構えができているならよいが、なまじバラエティ丸出しの「だいじょうぶだぁ」なだけに、そのギャップは大きく、まだ小学生かそこらの年齢だったぼくには妙にショックだった。

今回放送された新作の「だいじょうぶだぁ」にはそんなシリアスコントは無かったものの、志村と優香の貧乏親子のコントを見ていて「まさかこのままズブズブと水たまりに頭まで沈んでいって息絶える、みたいな悲惨な末期を迎えたりはしまいな…」とすこしドキドキしてしまった。


当時の「だいじょうぶだぁ」で放送された、そんな鬱展開のコント。別名で『シリアス無言劇』などとも呼ばれているらしい。Wikipediaで詳細が記されていたので以下に引用する。

コントではないシリアスなサイレントドラマ。これはスタッフと飲んでいた際に志村が「人を笑わせられるなら、人を泣かすぐらい簡単な話」と豪語したことが発端となった企画で、志村にとってはスタッフ・視聴者との「勝負」であった。志村は「コントの中に予告なく悲しいドラマを入れることで視聴者を驚かせたかった」と後に語っている。

番組内で異色の存在だったが、それまでの爆笑コントと非常にシリアスな内容とのギャップ、さらには BGM のオカリナの音色が視聴者の感動を呼び、番組終了までに十数本放映された。

ただし、シリアス無言劇と見せかけて、途中から「変なおじさん」や「好きになった人」になる引っかけ的なコントになることもある

志村けんが視聴者に対して「勝負」を仕掛けてたという。あるいはいきなり悲しいドラマを見せつけるわけで「だまし」「ひっかけ」とも言える。

今となってはそんな志村の意図していることも理解することができる。今なら。

ただ、当時はそんな意図などわからなかったし、目論見どおり「予告」や企画意図の説明などもこれといってなく、子ども心には「なにこれこわい」ってすげー恐怖なだけだった。


YouTube に映像があった。

老人(志村)が亡き妻(石野)の遺体の前で自分の一生を振り返る。途中ホームコメディ風の笑いはあるものの、総じてシリアスな作り。最後は妻の遺体を背負い海に入り、妻の後を追うかのような場面で終わる

まさにこれを見たのだ。

BGM は宋次郎のオカリナ。なんだかものすごく久しぶりに見てしまった。おもいっきり記憶の扉が開いた。そして今すぐその扉に鍵をかけてしまいたいという気分にもなっている。

志村けん発信の真剣勝負なドラマだと理解して、あらためて見てもなお、けっこう鬱だ。石野陽子の「遺体」とか、入水とか。たしかに驚きはするけれども。

まだ健全なころの田代まさしがちょこちょこ顔を出しているのが、今となってはおかしいくらいだ。