老年期

飲み終わって土曜深夜 2 時半から、最期のカラオケ 3 時間半。ススキノのまた別のカラオケ屋に初めて入ってみる。『 1人 』。ひとカラ。地下鉄の始発に乗るまでの時間つぶし。

定年後、娘は独立、妻とは熟年離婚。たくさんの人たちに見守られながらこの世に生命を受けても結局死ぬときはひとりぼっち、というのは誰もが避けられない運命であり、家族に看取られて安らかに息を引き取ろうとも己唯一人が落命することに変わりなく、愛人との心中など滑稽の極北、死はどう足掻こうとも永久不変に孤独なものだ。

深夜ながらも体調はわりと良好で、ぼくは無駄に長い余生に翻弄されることになる。華々しいことは何ひとつない。エレベーターの中でふしだらなヤンキー連中に「練習ですか?」などと半笑いで問いかけられ「違います」と力なく答え、狭い個室のドアの外を誰かが通っていくたび理由もなくドキッとする。全力で愛の唄を叫んでみても誰の胸にも届かない。すべてが負の感情。ただ試しにやってみたモノマネ( BoA とか)が妙に上達していることだけは自覚され、ヘヘッ、いったい何のために、と自嘲的に笑う。

体調が良かったのは最初の一時間だけだった。徐々に意識が遠のき始める。カラオケにつきものであるはずのドリンク類はいっさい頼まず、また持ち込んでもいない。完全にノー水分でストイックに歌い続けるうち、声は嗄れ、頬は痩け、聴力は落ち、眼球は落ち窪み始めた。マイクを持つ腕もゆるやかに震え出し、立っているだけの気力も失せて、狭いソファーに身体を横たえると、ゆっくりと、ぼくは瞼を閉じた。

誰にも看取られることない、アパート独居老人の孤独死


営業時間終了を告げるフロントからの電話が、ただ虚しく鳴り響いた。