月 9 ドラマ「イノセント・ラヴ」の主役だしちょうどその放送開始月に 20 歳のメモリアルな誕生日を迎えちゃうしあまつさえ 20 歳記念というていでなにやら艶っぽげな写真集をリリースしちゃうし雑誌の表紙やら特集記事やらにも引っ張りだこだしで、要するに 2008 年の秋は堀北真希ブームの様相を呈している。
ちなみに 2008 年の春は水谷豊ブームだった。2008 年の夏はポニョブームだった。早いもので今年ももうすぐ終わりですね。今年の紅白の司会者は誰になるのかな? とかそんなこと以前に極めて個人的な生活としてはそろそろ自分の人生が終わっちゃいそうな気分が充ち満ちているんですけどそのあたりの困った話はまた後日。
ともあれ旬は堀北真希ですよ。こんな写真集出しちゃって、もう!
「セミヌードショット」が話題を呼んでいる、らしいですよ。
しかし「セミヌード」という言葉ほど羊頭狗肉というかまやかしの塊のような言葉は無いですね。そもそも「ヌード」にすらさほどの価値も無くなってきた昨今において、そのヌードがしかもセミ(半分)だというのでは、いったい何の腹の足しにもなりゃしません。
ところが堀北真希の↑最新写真集も宣伝広告などでは「背中を大胆に露出したセミヌードがありますよ」「セクシーですよ」みたいなことが盛んに喧伝されていたわけです。
むろん露出多めってのは世の多くの健全な男子諸君にとっては歓迎すべきことかも知れない。全ページ上から下まで和服やらガードの固いスタイリングやらでまとめられて、あとはどっか海外の変な風景の写真とか載せられても、ともすれば退屈な写真集になってしまう。
でもそろそろ単語としての賞味期限がきつそうな「セミヌード」を売り文句にすることで商品価値も半減するんじゃありませんか? むしろセミヌードを売りにすることが今さら水着姿にならないことの言い訳にさえ聞こえる。
たかだか背中の露出程度に付加価値をつけようという魂胆自体がが浅ましいというのです。
今「セミヌード」の単語でググったら堀北真希の記事がずらずらっと並んでいた。世に伝播しすぎ。寄ってたかって堀北真希の名をこれ以上けがすのはやめて欲しい。
とかいってこの更新もどうやら同じ穴のむじななのだけれど。
でも堀北真希が決してそう即座に安っぽくなったりはしない、というのもまた真実なのです。
堀北真希はぼくの夢です。めでたいなぁ。