大道芸とネット課金

2月の空があまりに快晴なので、すこし遠出をして井の頭公園を散策することにした。春の陽気がとても快適。もしかしたら人生でいちばんのんびりした時間を過ごせているのかも知れないなぁ。そんな平日の昼の無職です。

井の頭公園の敷地内を歩いていると、大道芸のおっさんがバルーンアートを披露していた。わりとこういうのはスルーしがちなんだけど(心が冷え切っているので)、このときはあまりにも穏やかな気持ちだったため、足を止めて、少し遠目から鑑賞することにした。

おっさんの周辺に立ち止まっているのは親子連れやカップルなど30人ほど。大道芸のおっさんはトランスみたいな音楽をBGMに流しながら、なにやらミッキーマウス的なバルーンをこしらえている。客は音楽に合わせて手拍子を取る。風船を膨らませたりキュッキュとねじって変形させたりするうちに、徐々にミッキーっぽい形ができあがっていく。

最後にひょろ長いヒモみたいな手足をつけてバルーンは完成した。上出来。なるほどアートだ。手足はゴム製なのか著しい長さに伸びたりして、おっさんが「自分と同じ身長になった!」などとアピールしていたが。そのくだりはスベってた。

「次が最後の出し物です」というおっさん。すると遠巻きに見ているぼくのような客に「もっと近くで見てください」と要請し始めた。わりとこういうのは同意しないことが多いんだけど(心が死んでるので)、このときは近寄ってしゃがんで子供みたいな気分で観覧することにする。

おっさんは訥々と自分語りを始めた。

名前はmotoさん。53歳。大道芸を始めて7年。こうした井の頭公園内での大道芸も一ヶ月前から利用申請を出して許可をもらったうえで合法的にやっているんですよ、とのこと。

みんなに幸せの青い鳥が飛んできますように。願っていればいつか必ずいいことがある。

そう言いながらおっさんは「最後の出し物」を始める前に、赤の風船で「ハートの籠」を、青の風船で「青い鳥」をつくった。「ハートの籠の中に青い鳥がとまっている」という構図のバルーンアートがすぐに完成した。なんてハートウォーミングなんでしょう。

しかし一転、最後の出し物は超ハードなものだった。ビニール手袋的な風船を自分の息だけでただひたすらに膨らませて、一気に破裂させる! なんかエスパー伊東の持ちネタに似たようなものがあった気がする。

この出し物のときのBGMはおっさん曰く「井の頭公園の歌姫」ことあさみちゆきの曲。たまにレコ大かなんかにエントリーされてる人だ。その曲のリズムに合わせてビニール手袋がどんどん奇妙な膨張を見せていく。いつ破裂するかも知れぬビニール手袋と、逃げまどう子供。いい絵。

やがてあさみちゆきの楽曲がクライマックスを迎えた瞬間、最大限に膨張したビニール手袋は、おっさん最後の一息で見事に破裂した。これも一種バルーンアートというのだろうか。決して綺麗なものではないが力業だった。ビニールのにおいが見てるこちら側まで風に乗ってやってきた。

おっさんはその後「風船と思いきやいつの間にかスティックに早変わりしている」というプチマジックで驚きを提供したのち、語り始めた。

みなさま本日は最後までご覧いただきありがとうござました。わたくしこの大道芸で生計を立てております。もしよろしければ、お心だけでけっこうですので、おひねりを頂けると助かります。なお、わたくしの今日の手持ちの荷物、ぜんぶで「25kg」ほどございます。重いです。なので、できれば頂けるものの種類は「軽い」ほうが…(※小銭よりもお札が欲しいというギャグ)…これ以上は申しません。本日はありがとうございました。

記憶は曖昧だけど、こんな内容の「最後におひねりが欲しい」という訴えかけ。ストレートな要求ながら、もう話している間から多くの客が財布やバッグに手をかけていた。お金を出す気満々。そして無職のぼくでも「これはお金出すべきだな」と富豪のような気持ちになってしまった。

他の人が小銭を投げ込んでいる「おひねり箱」に近寄って、中身を覗いてみる。10円玉に混じって、50円玉、そして100円玉と、あと500円玉も何枚か入っていた。お札は入っていないようだった。でも合計すれば、数千円にはなるだろうという金額だった。ぼくはいくらあげようか悩んだものの、結局はフィーリングで「50円」を投じた。

このおっさんの「公演」は一日につき複数回にわけて行われているはずなので、けっこうな稼ぎにはなるに違いない。とはいえ生計を立てていくにはあまりにも不安定な職業なのかも知れない。「入場料」ではなく「おひねり」を収入源にする場合、客の良心まかせみたいな超あやふやなところが基本にある。最大の敵は「悪天候」だろうか。

でも、客の財布の紐がゆるゆるにゆるんでいく瞬間を、たしかにこの目で見た。大道芸が何百年続いた文化か知らないけど、おっさんの出し物にこれだけお金が集まることに驚く。なによりたった50円とはいえ実際自分までが財布を開けるとは思わなかった。無職に財布を開けさせたおっさんが遥かにうわてだったということだ。


この経験から、ネットでの「課金」みたいなことにも連想が及んだ。

ネットでの活動(特に個人サイト)と大道芸には通じることがある、なんてのは古典的な話。「投げ銭」なんてシステムや概念もネットには以前から存在している。でもなかなか浸透しない。

お金にまつわる問題って、なんとなく「粋(イキ)じゃない」気がしている。情緒に乏しいというか。なので、大道芸のおっさんにぼくが払ったのは「お金」というよりも「おひねり」だ、という言い訳がある。決して「従量課金制なのでお金を支払っている」みたいな堅苦しいことでは微塵もない。

動画や音楽、絵などごまんとあるけど、やはりネットは「テキスト」が支配する文化だと思う。なので直接「お金」が関わることについては、きっちり「課金」とか「投げ銭」とか具体的な言葉でアピールしないと誤解が生じちゃう。信用問題に関わっちゃう。そのあたりは気持ちの問題で済ませられない。

ただ、その「芸」を目の当たりにして、驚いたり感心したりとなにかしら気持ちを揺さぶられた瞬間、反射的にサッと財布を開いて、パッとおひねりを投じてしまう。こういうミスター長嶋茂雄の動物的勘のようなフィーリングの部分が、ネットでのお金の話にもっと欲しい気がするんです。

2009年の国内の広告費。とうとう新聞広告をネット広告が抜いたんだそうです。正直ぼくもネットでの広告からいくばくか収入を得ています。他人事ではありません。

ただ広告収入と違って、大道芸人がおひねりを回収する場合、そこには圧倒的なスピードがある。しかもダイレクトに本人に届く。中間的な搾取とかが一切ない。あるとすれば場所代くらいでしょうか。

TwitterUstreamなどの台頭が象徴するように、これまでただでさえ即時性のあったネットの世界が、もうドン引くくらいの光速化を為し遂げている。やりたい放題リアルタイム。しかしそんな中、生活の根幹を為すところのお金の動きは、ぜんぜん進歩が鈍っていると思います。個人間での「少額決済」のシステムが普及しているとは言えない。

管理コストがかさむとか、開発に莫大な費用がかかるとか、そもそも浸透するのかどうか、とか問題点はあると思うんです。実際、数多くの失敗があったはず。

でも、なにも「タイムマシンが出来たらいいなー」とか荒唐無稽なことを願っているわけでもない。どでかいインフラが整備されるだけの一発で、いろんなことが変わりそうな気がするんですね。

『課金』などという貨幣経済の重い十字架を背負ったような無粋な概念ではなく、もっとこう「課金」を「課金」とも思わせないような、ましてやそれは「ポイント」などという曖昧模糊としたものでもない、それでいて誠実なシステムによって、「おひねり」がひゅんひゅん交わされ続けるようなリアルタイム性のあるインフラ。

独占集中のほうが物事は進むと思います。「公」の力でむりやり整えてくれてもいいかも知れない。

大道芸のおっさんが井の頭公園バルーンアートをやっていた。そこで人と人との間のダイレクトな経済がごく自然に取り交わされていた。これとまるで同じようなことがネットでサクッと実現できれば、世界の動きはちょっと変わる気がするんです。


ふだん使わない脳みそ使って、めちゃくちゃ浅はかかも知れませんが、そんなことを考えました。