高見山大五郎の生活


カッコイイなーこれ


27 日放送のテレ朝系「徹子の部屋」に元東関親方の「渡辺大五郎」氏が出てました。

元関脇・高見山ですね。外国人力士のパイオニアとして永久に語り継がれる存在です。

65 歳で日本相撲協会を定年退職したらしく、そのあといくつかのテレビ番組に出ていますが、一回くらい話してる内容を書き起こしてみたかったんで、今回の更新でそうすることにします!

帰化して今や日本人の高見山。とはいえ、若干日本語に怪しいところがあるのは否めないので、そこはなるべくわかりやすく文字化しました。あとの脳内再生は各自しわがれ声でお願いします。


・あまり相撲を見なくなった

黒柳:相撲は見ますか?

高見山:あー、興味ないネー。早いのだけ見るネ。たとえば 1 時から 3 時のあいだだけ

黒柳:そんな早い時間に?

高見山:ありますよ。BS のあれだけ見るんですよ。そのあとの関取の相撲は見ないですネ

黒柳:あーそう。やっぱりなんかあるんでしょうね。きっとね

高見山:なんか、別に(笑 若い力士だけ見るんですネ。ま、うちの高見盛。いつもネ、結果だけ。ニュースの結果だけ

黒柳:高見盛さんのニュースの結果は見る

高見山:「今日どうしたの?」「今日勝ったか負けたか」

黒柳:そのぐらい

高見山:ハイ

黒柳:じゃあ、あとご自分がお相撲の関取でいらしたあたりのそのへんのところは、あんまりご覧にならないと

高見山:そうですネ、先場所初めて経験したんですけど

黒柳:そうか先場所が初めてだったんですね、そういうことがね

高見山:ハイ

黒柳:もう定年退職なさって初めての場所が先場所

高見山:まぁ、さびしい場所ですけどネ(笑

黒柳:そうか、それもありますね。ご自分がいない、関係のないことになったらちょっとね。土俵っていうのは寂しいのかも知れませんね

高見山:ま、慣れるまでネ


・休みたくなかった

黒柳:高見山さんはですね、えー、記録をお持ちです。歴代 1 位の記録をお持ちなんで申し上げておきますね。「幕内通算在位 97 場所」。すごいですよねー

高見山:あー 97 場所ネ

黒柳:1 年間 6 場所ですからね

高見山:97 場所は、15 年、16 年くらいかナー

黒柳:そうですね、ずっとお出になったんです。それから「幕内通算出場 1430 回」。で、「幕内連続出場 1231 回」。これはおケガとかそういう故障がなかったということですね

高見山:いや、ありましたよ。ケガ多いですよ。ただ、もう、ほんと休み…のときあったですよ。休場しておかしくないですけどネ、どうしても取りたい

黒柳:どうしてもお相撲取りたいから休まないようにして?

高見山:もう、休みにしない

黒柳:そうですよね、ほとんどお休みないですから。それから金星が 12 個取ってらっしゃるんです。これは幕内歴代 2 位なんですけど。金星もねこんなにたくさん

高見山:そこの中いちばんわたくし誇りを持っている記録は、97 場所の記録ですネ。わたくし「公傷」無い。一度も無いですよ。ケガをすると次の場所は休場する。そうすると相撲取れないようになるから

黒柳:絶対休まない

高見山:大きいケガ、休みは二回だけですから

黒柳:大きい故障が無かったってことですね。稽古をたくさんなさったからだろう、と皆さん言ってます

高見山:まぁそうですね。当時は基本はね、シコ、テッポウ、伸脚、股割りと、いろいろ毎日基本は大事に

黒柳:(唐突に)あの、わたし毎日シコ踏んでるんですけど

高見山:痛いでしょう?

黒柳:痛い! シコやると身体に良いって言われて 1 日 1 回 30 秒やってるんですけど痛いですよ痛い

高見山:いいですけど、もっと若い人がやってもいいですけど(笑

黒柳:なんでしょう? 「若い人がやってもいいけど?」(笑

高見山:歳取ったらどうしてもあちこち痛くなるから

黒柳:シコは毎日やってますよ。横綱貴乃花さんが 50kg 痩せたのは、シコのダイエットってテレビでおっしゃってたんですよ。私やってみたんですよ 30 秒。もうー、たいへんですけど、あれをたくさんおやりになったわけでしょ? 毎日毎日

高見山:当時はね、わたくし若いとき、まぁ 200 回以上やったネ

黒柳:うわー、みなさん 1 回でもやってご覧なさい?イヤだから!


・大五郎高見山のすべらない話「目から汗」

黒柳:稽古がたいへんおやりになったということで有名な話なんですけどね
あんまり辛くて涙が出たときね

高見山:あー、当時はネ。稽古場に見学にお客さんだいぶいっぱい来てたっスよ

黒柳:あ、見にいらしてたのねお客さまが

高見山:で、最後にわたし普通は長いぶつかり稽古やってたんですよネ
いつも「あともう一番」「もう一番」「もう一番」
なかなか終わらなくてですね、悔しいですよ


で、いい汗をかきまして、その次はね
悔しいから、ちょっと涙が出たんですよ


当時は東富士さんいるんですよ、先輩ネ
彼が「おいジェシー、おまえ泣いてるか?」みたいなこと言ったんですよ
で、わたくしの答えが、あんまり人がいっぱいいて恥ずかしくて


「いや、泣いてないですよ、あのー、汗ですよ」


で、あれから有名になった、ですネ


黒柳:「目から汗が出てます」っておっしゃったそうですね。あれから有名になりましたね

・徹子とのエピソード

黒柳:覚えてらっしゃる過どうかわからないんですけど、
もうずいぶん前、お相撲とってらっしゃるとき。イタリア料理屋さんで

高見山:ハイ

黒柳:覚えてらっしゃる?

高見山:一度お食事行ったことある

黒柳:フランキー堺さんとかいろんな方がいらして

高見山:そうそうフランキー堺さんですね

黒柳:わたくしのお隣で食べてらしてね
わたくしにね
「ヨク食ウネ!」(高見山のマネ)
っておっしゃったんですよ
よっぽどわたし大食いだったんでしょうね

高見山:いやーあのときまだ若かったんですよ(徹子を指さして)(笑

黒柳:そんなお笑いにならないでください
やまとなでしこ、そんなに食うとは思わなかった」って


でも「ヨク食ウネ!」ってわたしずっとマネしてて
お正月声が出なくなったことがあった


・辞める気はなかった

黒柳:もしもお相撲じゃなくてハワイにいらしたら
ベトナム戦争にいらしたかもしれないんですってね

高見山:もし兵隊、戦争あればね
たぶんわたくしベトナム戦争に行ってた可能性ありますネ

黒柳:お母様はやっぱり日本にお相撲に行くって言うときは反対なさった?

高見山:だいぶ反対しましたね
やっぱり長男ですから。長男で 6 人兄弟でネ
でも「とにかく日本見たい」ですよね

黒柳:「日本に行きたい」
あ、初めは「観光でもいい」というお気持ちだったんですね

高見山:本当のことを言えば半分観光の気分ですけどネ

黒柳:19 歳のときにね

高見山:いや、わかってたけど、厳しいのはわかるけど
「とにかく見たい」ですよね。「日本が見たい」ですよ

黒柳:そのあと観光じゃなかったですね。大変でした

高見山:観光じゃなかったですネ

黒柳:でも日本いろんなところお歩きになったんですものね

高見山:まぁ 1 年目はいちばん大変だったですけどネ
2 年目からは、もう、やる、絶対がんばると

黒柳:お相撲さんになるってことですよね

高見山:まぁ出世するかどうかはわかんないよ?
でも、やる気ありますからネ
1 年目は何もわからないで真っ暗になりますからネ
番付のことわからないし、あと先輩と後輩もありますしネ

黒柳:そうですよね

高見山:けど、それを超えればネ、まぁ稽古量だいぶやりましたけど
「辞める」はなかったですネ


・ハワイ巡業を見に来ていた母の勘違い

黒柳:お相撲にお入りになって 2 年半経ったときに偶然ハワイの巡業があって?

高見山:初めてハワイに帰りました
昭和 41 年の 6 月場所かな?

黒柳:お母様いちばん前で見てらしたんですって?

高見山:そのときね、ちょうどマウイ島、3 つの島だったんですよ
ホノルル、マウイ、ヒロ
そこでお母さんがいちばん前の席で
ぶつかり稽古やったんですよネ

黒柳:あ、ぶつかり稽古

高見山:で、ちょっと長かったですよネ

黒柳:長かった(笑

高見山:お母さん、泣いてたっスよ
うちのお母さんネ。涙出てたですよ

黒柳:見ててつらそうで?

高見山:最初いじめみたいですけど
やっぱりボクの場合は大関横綱
わたくしに胸を出すのは最高のことですよ

黒柳:あー、あなたにしてみればね、
大関が胸貸してくれてるんだから最高なんだけど
お母様からするといじめてるみたい(笑

高見山:そう、いじめてるみたいで


・放送時間ギリギリ間に合うのか

黒柳:でも、今こうやって 45 年間を振り返ってごらんになると
お相撲の世界にいらしたことはどのようにお思いになります?

高見山:そうですね、わたくし 20 年間ね、力士時代、関脇までいって…

(※ここでエンディングテーマがルールルと流れ出す)

高見山:長く取ること、やっぱりほんっと嬉しいですネ
あと親方になって曙を横綱に作ったこと、それも嬉しいですネ

黒柳:そうですねー、本当にね…

高見山(〆ようとする黒柳を遮って)まぁ、あとね
あと、引退しましたから
これからカラダね
痩せたいけど、できないナー(笑


時間無視して喋って途中で切れちゃうのかと思ったら
うまいこと「痩せたいけどできない」みたいに最後クスッと笑わせて
ちょうど時間ピッタリに放送終了するのでした。ジェシーは出来る子!