「さんまvs紳助」のメジャーな獣性をキープしたい


「 26 時間テレビ」深夜の「さんまvs紳助」トークは他のコーナーとは一線を画してほんとに圧倒的だったんですよ!

ってお話です。


「さんま中居の今夜は眠れない」で年に一度のレギュラーが定着してる中居正広さえも大御所二人のやりとりの前には最低限の進行役に徹してました。

トークにつけいる隙を与えない肉食獣たるふたりに、中居君は「怪獣と怪物だ」を連呼します。さんまがよく「お笑い怪獣」などとレッテル貼られてる事を考えると「お笑い怪物」が紳助ってことになりましょうか。あまりレッテルとして棲み分けができてない気もしますが、ともかく檻の中でじゃれ合ってるモノノケ同士とそれを手なずける飼育員という感じでした。

中居君は立場的に得してる部分も損してる部分も両方あるんです。

建前としての「アイドルだから」「 SMAP だから」というのは本人がギャグにしちゃってますが、今のところ逃れられない宿命で、バラエティを進行する役回りとしては足元に鎖を縛り付けられてるようでもある。踏み込んだ下ネタなどキワキワなところになかなか本人が踏み込めないし他人も踏み込ませられない。そこが辛いところであり SMAP であり続けるがゆえの限界になっちゃう。アイドルさんとしての華々しさの代償です。

もちろんそれはさんまや紳助だって同じ事で、たとえば常識、モラル、人間関係、あるいはいわゆるテレビの放送コードみたいなもんなどにことごとく縛られてはいる。しょせん檻の中の自由という意味ではどのテレビ出演者も平等なのかも知れない。でもお笑い芸人とアイドルさんとでは縛り付けられてる鎖の「長さ」がぜんぜん違います。

裏を返せば、自由の利く範囲が限られていると誰もが分かっているからこそ、中居君は空気になることも厭わないし、それをさんま紳助のふたりも許容できるんだって気もします。これで生来お笑い芸人だったら悲愴感さえ漂っちゃいそう。

2005 年の 27 時間テレビで今田耕司が「我々はあの檻の中に飛び込まなきゃダメなのよ!」と語ってました。お笑い芸人の場合はほんと油断してると肉食獣にガブガブ食われて骨になるレベルの覚悟が必要だってことかも知れません。中居君だからこそ成立してる部分は大きそうです。


さんまと紳助の喋ってる内容は「ザ・雑談」でした。昔話からお互いの恋愛観、果てはちんことか AV みたいな中学 2 年生レベルの話まで。いかに五十代の男性とはいえ永遠の中学 42 年生が抱える真夜中のモヤモヤみたいな煩悩は隠しきれやしないという事なんです。そもそも毎年やってることが「ラブメイト 10 」でさんまが一年間のうちに気になっている女の子をランク付けするという企画だから方向性は自ずと決まってるんですけれども。逆にそれ以外に何を話せばいいの? という感じもします。

話のネタが煩悩まみれであるにも関わらず、その迫力が凄まじかったのでした。なにがすげーってパワーがすげー。さんまが前年の総合司会を序盤から飛ばしまくって深夜に既にやや困憊気味になっていたのに比して今年は休養たっぷり! 出演するのはこのコーナーのみという万全を期したシフトなだけあって、その迫力には壮絶なものがありました。いっぽう紳助も愚痴っぽさ全開でしたがこの時間はおおよそフルテンション。体調万全だったらもっと凄かったんでしょうか。

「さんまのまんま」みたいにテーブルを挟んだりせず、あの四畳半ひとり暮らしみたいなこちんまりしたセットだったのも、両者の物理的かつ精神的な距離がめちゃくちゃ接近するのを後押ししました。トークだけでなくリアルに肉体的にこちゃこちゃ手足を出してちょし合う感じとかお戯れが止みません。

ここまで互角にわたりあえるパートナーがいるというのはステキなことです。ふだん接しているわけじゃないからということで新鮮味も残されてるのがこの年齢とキャリアにしては希有なことだなーとも思いました。

その後に放送された「深夜の大かま騒ぎ」のメンツがさんま紳助トークを見ていたらしくテンションガタ落ちしてたようですけど、テンション落とすことすら筋違いなんじゃないかと思えるくらい、お笑いに対する嗅覚や反射神経、スピード、手数、獰猛さ、飢えのレベルが違うように思いました。


深夜の生放送のトークでさんま紳助レベルに丁々発止の、ときに胸ぐらをつかみかかってケンカでもふっかけようかというような(当然フェイクとはいえ)勢いのあるトークの出来る人たちって、ものすごく稀少ですよね。滅多に出現しない。

テレビの時代に最大級の成功をおさめたテレビの化け物がこのふたりなわけで、みんなが知ってる人たちの他愛もない話を生放送で一斉に共有するというメジャーなお祭り気分が、そこにはワショーイとアッパレって感じでおのずと生じます。

このさきいつまでも昭和以来の地上波テレビの時代じゃないんでしょうけど、ではさんま紳助のように日本人のほぼ誰もが知ってるメジャーなお笑い芸人が生まれてきて、あまつさえデビューから 20 年 30 年が経った後にもやんやバトって言い合えるようなことは、今後はたしてあるのかしら? って危惧したくもなっちゃいます。

メディアによって増幅されるスケール感は、また本人の才覚とは別途のものな気がします。ネット時代にテレビが究極の個人化を為し遂げたとき、そこにたとえ幻想とはいえお祭り気分な浮ついた共有体験がキープされれば、なんだかそのまま心おきなく死ねそうなんですけども。