竹内由恵アナの膝の上の右手ばかりが気になった


裏地


タモリが休暇を取った 17 日放送のテレ朝系「ミュージックステーション」でもっとも気になったのは、司会者席の竹内由恵アナがとにかくパンチラするまいするまいと頑ななまでに股間をガードしてた事です。


マイクを持たない方の右手を自らの膝上にセッティングしておきながら、事あるごとにスカートの生地をぐいぐい膝の間に押し下げるような動作を繰り返しており、あまつさえスカートの形状が歪まんばかりの力業で、「とにかく股間のステーションだけは死守を…」という強靱で切実な意志が見て取れました。

よってそこにしか目が行きませんでした。

竹内アナのスカートの中身に興味が無いといえば大ウソになります。にしたって右手を執拗なまでに股ぐらに押しつけていればその中がチラるとかチラらないとか以前の問題として着目せざるを得ない。逆にその手指の動きがスカートに波を立てるほどの勢いであるあまり「なんか股間いじってる」疑念さえ生じるのです。


この番組はもちろんのこと、短めのスカートを履いた女性テレビ出演者はパンチラとの暗闘を余儀なくされます。今に始まった事ではありません。

偶然のハプニング、という場合もあるでしょうが、それよりもこの手の一連のチラ見えは送り手から仕向けられたあざとい戦略という場合のほうが多いのかも知れません。耳目を惹きつけるために故意にやってるというか。

そのあざとさと引き換えに女性視聴者からの信頼等を失うとすればトータルではマイナスになるような気もしますが、ことドスケベホイホイ的な役割としては十二分にカンフル剤たり得ます。

ややこしいのは、「これは見せパンですよ」という作為的な態度がまかり通っているのが常であった場合に、むしろ特になんの興味も生じさせはしない、という逆説的な真理があることです。特に最近ではテレ東系で深夜に放送されている「おねだりマスカット」でアダルト女優たちが毎週必ずチラチラしていただいてますが、心躍りません。

隠そうとしない。これは初歩的かつ致命的な需給のミスマッチです。

エロが氾濫して堤防決壊を起こしている時代に唯一エロの絶対未踏の領域として残されているのは「隠される」事で喚起される人間の妄想力に他なりません。隠されると覗きたくなる。そんな習性が大多数の人間に備わっています。

生命力の根源は「見えないものを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ」でしょう。「静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ」ですよ。脳内小宇宙の妄想天体観測にはどんな直接的で刺激的なエロさえ敵うことは無いと言っているのです。

ただ「おねマス」のチラに関しては、もはやそんな隠すとか隠さないとか見えたとか見えないのレベルにはなく、そこに意味すら持たせてないのでしょうけれども。挨拶というか大人の社交辞令のようなもので。

大人になるというのは悲しいことです。


さてタモリ不在のこの日の「ミュージックステーション」放送を迎えるにあたって、竹内アナのプレッシャーは大変なものだったに相違ありません。実際、いくら半分置物的な存在といえ精神的な支柱を欠いて、本来ゲスト扱いの出演者たちが持ち回りで質問を読み上げていく展開など、ものすごくフワフワした番組進行が余儀なくされました。

ただでさえイレギュラーなそんな状況下、さらに竹内アナが気遣っていたのが、自分のカメラ映りであったと。

身振り手振りで情報提供をするべき段取りでも、股間のマイク持ってないほうの右手で一瞬なんらかの身体的コミュニケーションを華々しく図ったと思ったら、それも束の間、ものすごいスピードで瞬間的にまた元のまたぐらに手を戻すことしきりでした。一刻の猶予もないキワキワの暗闘です。


最初から短いスカートなんか履かなきゃすべて済むことじゃんか、とはもちろん思います。

この日の他の女性歌手の格好は、上戸彩が足元まで覆い尽くすロングなワンピースで、いきものがかり吉岡聖恵がカジュアルなパンツスタイルでした。そして倖田來未がキャラ通りのスケスケの黒いミニスカ姿。この倖田來未とスカートの丈的に唯一タイマンを張っていたのが、女性出演者の中では唯一竹内アナだった、という事になります。

もうこれは最初からパンチラ覚悟で臨んでいると言われても仕方がないです。

とはいえ何らかの抗えない圧力によってミニスカ履くしかない、という事情もひょっとしたらあるのかも知れない。それでいて本人的には「絶対にパンチラだけは避けたい!」という譲れない願いがある。


じゃあ、そんなにパンチラが避けたいなら、いっそパンツを履かなければいいのでは?


そんなノーパン解決法を考えついたぼくは、この日 31 回目の誕生日を無事に迎えることができました。想いは誰にも伝わりません。